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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.110
メッセージ数:2200件

<2200> ミン ■2008年01月06日 日曜日 21時00分12秒
自分自身の気持ちを汲み取ることが難しい。否認が何重にも重なっていて見極めが困難な時が多い。調子がいいと思っても警戒する。躁の時期?とかいつものように振舞っていてはまたスリップするかもしれない、と慎重になり過ぎて緊張している。棚卸が進まないことに焦りを感じてしまう。
<2199> かえる ■2008年01月06日 日曜日 12時40分11秒
人を憎む恨む軽蔑するのは簡単だ。相手を許して受け入れてあげること。適度な距離を保つこと。一人よがりにならず、複数系、みんなの中で上手に呼吸できるようになりたい。しんどさ不自然さ違和感。そんなの感じたくない。
<2198> ぺあ ■2008年01月04日 金曜日 20時40分14秒
年賀状・・・
過去の人間関係。いらないものばかり。そしていじめを許してしまった日々のこと。
今になって、「あの子、今でも嫌い!」っていじめっ子と共通の友人に言ったら「今でも嫌わなくっても・・・・。皆かわかっていたよ〜彼女は。私もあの子に当時からかわれていたよ〜」とかメールされた。うっざって思った。つうか、てめえだって、旗悪くなれば私を平気で、裏切ったり、しただろうが!!!で、その馬鹿女、「OOちゃん、皆に優しくね!」とか言ってきやがって、はああああ?あんたはさ、何か知んないけども、婚約者とラッブラブなんだろうけどよ、ふざけんなよ。このぶたが!
 あああああ八つ当たり。でもしょうがないね。
<2197> ぺあ(FB注意) ■2008年01月04日 金曜日 20時36分17秒
 多分子供の頃は言葉にできなかったけども、こういう感覚で生きていた。
自分の感情を持っていれば、裏切ることになる、かわいそう、もたない、かわいそうな子たちには。という感覚。何もかも分かっている私だけが、かわいそうな彼らを守ってあげなければならないっていう感覚。
 そのうちにきったない男子からされたことも、快感になっていった。自傷だった。自傷イコール性的快感にもなった。そして望んでいるふりをした。面白かった、世界をこういう意味で欺けた。いじめられている。でも私の本心はそこにはない。本心出せば、それこそ恥、もっともっと痛めつけられる。だから、私は遊んだ、現実浮遊したり、いじめられて、だまされたふりして、心の中でへっへhっへって思っていた。自傷。そのうち自傷とまらなくなったの。汚い男子にレイプに近いことされて、喜んでいる私・・・・を想像して、快感になったり。すごいよね。でもそうだった。現実に起こるより前に自分で起してやるつもりだった。だって現実は何にもうまくいかないからね。
 今でも同級生に会うのは怖い。道できっもい過去に私にセクハラした男子にあった。その子私を振り返ってにっや〜って笑っていた。自傷行為今でも止まらない私は、これ遊びできるか持って思ったとこもあった。つまり、すきだってそぶり見せて、きっもい感じ得て、そいつにレイプしてもらっている姿想像して快感得ているみたいな・・・・自傷。はっきけがすんげえするけども、やめられないこと、だって、どうせ世界なんか、どうせ私はいじめとまらないし、そういう風に追いやられるの落ちだし、皆女子全員、私にきったないきっもい男子にレイプされるの、しかもそれに喜んで快感得ているのを、見て大喜びするだろうから・・・・
 すごいね。私の思考ってこんなに未だにあの時もそうだったけども、そういう自傷なんだねえ。
<2196> ぺあ(FB注意) ■2008年01月04日 金曜日 20時28分54秒
はああ。まず、優しい人、大切な友人を、今度はおんなじ目に遭わせてやるって、過去の私とおんなじ心の傷遭わせてやるって、私思っているんだ。
だって、そうでしょう?どうせ優しいってまたぼこぼこにされるんだから。どうせ、人生なんかまた落とし穴がまっていて、きらきらしていても、どうせお前あんた、神様が私を狙っては落とすんだから、どうせどうせどうせ。
 もし違うならば、何であの頃のあの決定的にいじめがあって、どんなにもがいても私は逃げられなかったのか?
 なんか・・・・・書いていて分かった。私、怖がりで、怖いのを過去のいじめや過去の信じていた神様に裏切られた思いにのっけているんだなあ。
 なんか、私はもう27になるんだけども、将来の見込みがなくて、思わず、どうせ何やってもって思っている所あるから、周りのうまく行っている友人全員引き摺り下ろしてやりたい気分。
 ああああああああああ。いじめ。いじめられたこと。そしていじめられたって言ったら、奇異なものを見る目でずっとこられたこと。あんたにも原因あったんじゃないの?そんなのただあっちが甘えているだけだったんじゃないの?って言われ続けたこと。
もういい加減明るくなりなよ、だとか、お前やばいだとか・・・・言葉のナイフや批判に流されてしまいそうな気がする。少しだけ見えてきた。どうせ生きているんだもの、やっぱり私の知り合いの水俣病の方、病気の方・・・・私生きないとねもう・・・・もう・・・・怖いな。怖いな。多分私は、抱えきれないくらい怖いんだと思う。怖い。怖い。怖い。
 ここに来ても、勇気のある人ばかりだ。自分で仕事始めたり。うらやましい。なぜそんなに勇気があるんだろう?そして私のこの恐怖・・・・。おかしいよね?でも怖いの。怖いの。いっつもいっつも怖かった。恋愛さえ恐怖。だってどうせどうせどうせどうせどうせどうせどうせどおせ、どうせどうせ、私なんか、カモフラージュにされて、どうせどうせ性的快感えるだけなんだろ?とか、どうせもっとかわいい子なんかこの世にたっくさんいるから、魅力的な人も、どうせどうせ私なんか捨てられるんだろうなって思っている。
 何をやっても、私は始める前から、怯えきっている。どうせの嵐。そして、どうせがないならば、何であの時本当にそうだったんだけども、いじめがどんなになってもとめられなかったのよおおおおおおおおおおお!!!!って泣いている。ばかだねえ。あの頃の、子供時代の景色は、本当にうまくいかないっていうのを、身にしみていつも感じていた。先生のいらいら、いじめっ子がどんどんふえるさま、汚い男子に、髪とか分け目とかを思いっきり指で触られて、喜ばれていたり・・・・。女子にタイミング悪く、あって、教室にトイレに閉じ込められたり・・・子供思い起こさせてしまって、またいじめがはじまったり、先生にもうまくいかれなかったり・・・・うまくいかない、何もかもが私を追い込む形にしか、周囲の子を私がばかにして汚くさせるのが当たり前になっていく様を私はどうしても見ているだけの世界だったこと、あの頃・・・そうだねえええ。その頃、そうだね、過呼吸にもなっていた。多分、耳にありいれられた頃からかなあ。まっすぐ歩けなくなったりね。自分では動かせない塊をいつも見ていた。どうしてもいじめられてしまう、自分が、どうしても人の顔色見て神経質に笑っている私、汚い男子に性的な快感えるんだかしんないけども、セクハラもされていた。勿論、もろにされたわけではない。でも椅子の上に手置かれたり、頭を触られまくったり、うなじを定規でさすられたり・・・・ひどかった。でも餌食になった。私は自分の感情を持てなかった。彼彼女の感情、こうであって欲しいと思うこと、世界観、価値観を覆すような感情を持ったら、彼女彼は、崩れないか、それでも世界は保て居るのか、分からなかった。ただただ、人は弱いって思って、そんなかわいそうな子、人のために、私は盾となって、この世の悲しみから守っているつもりだった。私だけは、かわいそうな彼らの価値観、世界を壊さないで、その通りを体現して、(今思えば自死から)守ってあげよう、精神の崩壊から守ってあげようと思っていた。
 そんな感覚だった。
<2195> アル ■2008年01月03日 木曜日 23時28分50秒
今日は、人並みの経験をしていない、これからもすることはないだろうということを考えてしまって悲しくなり泣いてばかりいました。
<2194> ぺあ(FB注意) ■2008年01月02日 水曜日 18時50分10秒
父が自死した。でももうそれでいいじゃないか。。。。
でも、私には、この事実を知っているのは、私と姉と母だけ。
そして、言ってはいけないって言われていたけども、私の知り合い2人には言った。重荷を背負わせてしまったんだろうな。一人とはもう連絡つかないや。
 常に人を助けたい、私の子供たちっていうこの救世主願望は、結構、どうなんだろう?それで、いっつもいっつも背負わされてしまうんだ。私、障害あるの分かってよ〜とか、しらね〜よ。だよね?でも私の父のことだって、しらね〜よだよね?ほんと。
 誰も知らない人に言われたくないけども。でもあまりにも、この社会には、「ああしなさい、こうしなさい」という人を何とか変えてあげようという、おせっかいを超えて、いじめに走る大人と、変な人を「白い目」「ちょっと笑ったような、やべえこの人」っていう目で面白そうに見る人と・・・。本当に、傷つくことだらけなんだ。
 私ね、父の自死する前兆しっかり読み取っていた。なのに、実習のせいもあって、この実習だって、姉が姉のように正解さんが行けっていうから言っただけだったんだけど、この家の人は誰も答えてくれずに、ただただ私を変な目で見るので・・・・精神も限界で。私は、母と姉にもうみろよって思った。にやってわらった。しらねえって思った。勿論言わなかったけど。この家お得意の問題ないふりして生きる為に、ほほえましく笑って、もうすぐ姉の行きたくもない結婚式だったからね、「普通」の家では、実の妹も誰もが笑うのは統計上とっても「普通」の人の反応はそうだからね。下心では、父をいじめて笑っていた、仕返しできるってほくそえんでいた。でも表面の顔では、「結婚式近づいて、嬉しいねって笑っていた」父の心の何億光年も離れているのに、無理やり笑顔を、私は見抜いて、でいじめた。父お得意の、問題ない家族を振舞うのを、それでどれだけ私はいじめられて、学校で心殺されているけども、それでも、言えずに、この家でもいじめと同様のこと、母をターゲットにあったけども、それさえも見ない。おかしなこの家。で、仕返しした。だって、心殺されたもの。めげずに私は、自分の感情を素直に吐いた手紙渡したりしたけど、実習でも素直に過去の話したけども、人の見る視線、子供の露骨な視線に、心は死んだ。こいつおかしい、精神病。もしくは、あいつやべええっていう目。そうね、卒論発表会もそうだったのかも。現実が分かりたかったただそれだけで、私の素直な思いは、子供の頃からの癖でお得意だった、「殺す、とばす」をやった。でもたった一つ、ただただ私は、見たもの聞いたものを分かりたかった、現実感がほしかった、現実を動かせる力私も持っているって思いたかった、あの頃のわけ分からない世界をただただ解明したかった。
だから、泣いた。泣いた。いじめの研究をして、自分も経験者だといって泣いた。皆ひいた。色んな友人を聞き役にさせて泣いた。そんなことしたくなかった。でも素直な感情は、いつも、恥ずかしい、いえない、相談できない・・・だったから。だから、いじめられたんだ、だから、小学校時代のいじめをひきずって、欝っぽく、誰のことも心に入れられずに、私は自傷して、年月、大切な子供時代を自分の中に引きこもって生きてきたんだって思った。だから、だから、いつも人のこと考えすぎるからいじめられたんだって思ったから。
 そうね。そして父が自死してはじめて、分かった。私がおかしかったんじゃない、父がおかしかったんだ。ああ、私合っていたんだってはじめて、世界の見聞きしてきたものと実感とがかみ合った気がした。
 はじめて。
 いじめられた。
おかしいって言われ続けた。
お前は弱いからって沢山の人の刷毛口になった。
そして私はそれを自分に理由付けしてきた。
でもそうじゃなかった。
皆普通の子はそういうことをすり抜けられる、いや、そういう目に遭わないくらい、の自信を持ち合わせている。そんな事言われない。でも私は言われる。まるで幼稚園児みたいだって大学時代言われていた。バイト先の上司からは、24歳にもなるのに、お前やばいよって言われたり。この前セックスしている人見たんだよ〜とかいって、詳細に聞かされたり。全部私をだまして大笑いする、ねただったんだけども。そして常にいらつかれたりもした、純粋にもほどがあるなって。いつも私はその人の幸せを願い、その人の気分に左右されていた。そして私が嫌うと、全世界がその人を見捨ててしまう気がして怖かった。
<2193> ぺあ ■2008年01月02日 水曜日 18時30分47秒
優しくされると、怒り狂って、過去の仕返しや、自分の苦しみを味あわせたくなる。どこまでこいつを落としてやれるかって。
でも、傷つけられもする。
いつも母のことばかり心配している、なのに裏切られる。お前はいつまでこうやっているんだって、早く薬のめってきっと思っているはず。
 父は自分で死んじゃった・・・。何にもできなかった、でも私は吉祥天女に出てくる、小夜子みたいに父を笑ってみていたよ。実際にはそうせざるを得なかったんだけどね・・・。何やっても誰も応えない世界で。私はいじめばかりにあう。そして、必ず、お前のせいだって言われ続ける。そんな世界を、いつか解読したかった。解読できたのは、研究をしたからじゃない、父が自死したからだ。父は死んだ。見たよ、全部。棺おけに入っていて、仲の悪い親戚のばばあが、あらあらって家に来ていて、仲の悪い伯父が運んで、挨拶して、仲の悪い、いとこが私を変な目で見ていた、驚いていた私の落ち着きぶりに。私はもう知っていたんだ、父の事、おかしいって。でもおかしいって言おうとすれば、あいつはおかしくなったって言われてしまう、言える場で頑張って本音言ってきた、帰ってきた応えは、どれも、あの子おかしいだった。そして遂に私も精神のぎりぎりの果てで、父のおかしさを見逃した。そして一週間後に、自死した父を母が見つけ、私はただただ、いじめられていた時代に身に付けた、乖離を自分で起させようとした。分かっていたから。でも人の目にどう映るのか?私が殺したって思われないかってずっと思った。
 それから、学校休んで、色々資格試験受けたけど。常に自分と外に作ってきた用の自分の乖離が、するようで、自分に忠実に従うことにした。2人の、信頼できる人に父の自死と、自分の成育環境伝えた。
 でも、でも、今も、ただただ寂しい。。。。生きているのって寂しい。子供時代は、いついじめられるのか、いつそんな惨めな私の本当の姿が、この家の人に見つかるのかに、ただただ怯え続けたけども。
今度は、何に怯えているのかな私・・・・母の怒り。いつまで家にだらだらしてんのよ!そんないい年して!っていう・・・
私、親戚の母の弟にも怯えているんだ。母の親戚も父の自死は知らない。母は見栄っ張りだし、そんな「暗い」家のなぞ、「普通」のあの家には言えないって。
 OOさんは立派だったって、思っているから、そう思わせよう、父を守ろうだってさ。
 何か、私とは次元の違う人のようだ。
 その家の、母の弟から、いとこと結婚年齢比較されたり、仕事しないのはおかしいって言われてしまうのは、つらすぎる。
<2192> ぺあ(FB注意) ■2008年01月02日 水曜日 18時16分15秒
上、下、常に考えている。
こいつよりまし。この孤独な人よりもまし。かわいそう〜。こいつよりまし。この人よりましましましましましましましましまし。
母もそう。この人よかまし。ましましましましましましましましましまし。
そしていつも計算尽くめの私をずるい汚い女だとしか思えないの。
 電車に乗りたくない。実習を思い出すから。皆に変な目で見られること。すごい目で見られるから。そして必ずその後待っているのは、父の自死。もういやもういや。そう追い詰められると、皆が私を笑っている気がするの。そしてあいつが言った、人の話し聞きなさい!やもっとこうしろっていう、必死で生きてきた私を批判し、もっとこうしろよっていうお言葉たち。あまりにもひどすぎる。教授もそう。何でいっつも自信なさそうなの?って私にいう。そして過去の学生引き合いに出して、彼女は自分で自分でお姉さんとお母さんとの関係をかえたんだよお?って迫る。その言葉に載せられて私は、父に対決挑んじゃった。いっつもそう人の言葉を鵜呑みにしてしまうの。人の方が神様のような気がして、私はだめな人間、みたらずな人間・・・。でもその父も自死しちゃった。なんにもできなかった。でも分かっていた。何かがおかしいって。でもいえなかった。苦しかった。生きられなかった。こんな私に皆、自信なさそうっていじめた。その怒りや憎しみの権化になっている。今でも。そして、いじめの話ここで聞いたり、もっとひどい目にあっている人を聴くと嬉しくなる、こいつよりはましだわって。そしてその後必ず自傷してしまう。
<2191> ぺあ(FB注意) ■2008年01月01日 火曜日 22時27分34秒
ねぇ、私はかわいそう?でも知らない人からレイプされたりする人よりはましなんじゃないだろうか。それも子供のうちに。自閉症の方の本読んでも男に当時意味分からずにしょうがなく男に体を預けた箇所を見ると、かいりのことが書いてある。まし。かわいそうなこの人よかましだわ。良かった。不幸な人見るとありえない不幸人見るとうれしくなる。ましだわ。まだ生きてけるわ。まし。良かったって。私はやな人なんだろな。子供が精一杯書いてくれた手紙ふつうにゴミ箱に捨てているから。きっと届かないんだろうな。他者の優しさも。でも悲しい。なんにも知らなかったあのころ毎日おまえが悪いと攻められそれしか信じられず、つねられこうさせるのは私だと思い、かわいそうな父や母や姉を背負い続けたこと。なんにもわかれなかった。ただただ私は汚い人間だと心の底から思っていた。私にはどんな人の優しさもはねつけたくなるくらい、あのころの憤りで今でも沸騰して人を壊したくなる重いが充満し続けてる。私はどんなことも必ずあのころの巨大な悲しみの前で自傷し続けた子供のあのころにかえってしまう。どうして?ひどいよ。助けて欲しかった。ただただ私のまんまでいいって一人でも言ってくれる人が欲しかった。
<2190> ぺあ(FB注意) ■2008年01月01日 火曜日 22時16分10秒
泣いた。教育実習での生徒からもらった手紙集見ながら。理不尽な目に遭い続けてきたこと。何も分からずに、幸せを感じるのはずるい私だけだと思い、ただただ同級生のサンドバックであり続けた子供時代。我慢は限界に達した頃から、いつまでも歯磨きし続けトイレに行き続け、自分はガンだと思いこんだ。それから中学で、またいじめに近いことされるようになったから、今度は自傷とガンになりたい神様祈りを自傷の一つで始めた。世界は分からなかった。おまえが悪いという言われない同級生の言葉を鵜呑みにし続けた。父が自死した。教育実習では強い自分をPRするしかなかった。今度は弱いという理由ではなく、生意気で子供っぽくこんな実習生初めてと、意識飛ぶくらいまでクラスの生徒の前で怒鳴られた。かいりした。私あいつTの怒りでばんっと叩きつけられた時、意識が飛んで上から立ち尽くす私を見ていた。またかいりした。大学3年の時彼から突然キスされた時も私には拒否する選択しがなくて、大人の通過儀礼なんだと言い聞かせそんな権利あるとも思わず、ただただかいりしたんだ。上から見ていた。
<2189> かえる ■2007年12月29日 土曜日 23時59分04秒
体型のこと言われたのが痛かった。仕事と学校で体もこころも物凄くしんどくて、他のこと楽しみたいのに楽しめなくて。気持を晴らしたくても、不満ばかりがつのる一方。
<2188> ラビット ■2007年12月29日 土曜日 22時33分44秒
僕は自分に攻撃してきた人間にもう一度あった時、相手はまた攻撃してこちらが負けを認めるまでしてくると思ってしまい平気なふりをしていてもすごく不安や恐怖を感じる。それに相手が自分の不安を見抜いてはらに馬鹿にするんじゃないかとか屈服させるんじゃないかと考えてしまう。今日も前にネットカフェでもめたおやじを見かけた時ものすごく不安を感じた。全身怯え固まりかけた。こういう感じは前からあったな。高校の時のチーマーもどきや怒りくるった親父、夜行バスで前に座ったおやじ。
<2187> かえる ■2007年12月29日 土曜日 15時58分02秒
その人の性格もあると思うけど、自信や余裕がある人はちっちゃなことでムカついたり攻撃的になったりしないと思う。すべての人にいつでもどこでも変わりなく穏和で優しく対応できる人なんて…いないだろうなぁ…自分はそんなご立派な人間にはなれんよ。今日はなんかひどく人を恨んでしまった。今もまだ怒りや憎しみが残ってるし、相手に対して〈あんた好かんからもう二度と話しかけてくんな。あたしにこんりんざい関わんな〉とかマジギレして相手があたしの前に姿見せられなくなるまでにこてんぱんにのしてしまいそうだ。腕力じゃなく、あたしがどんだけあんたの言葉に傷付いたか、その痛みをあんたにも味あわせてやる的な…自分でもこんな発想は恐ろしい。普通に考えて冗談で流せる内容なのに…なんで…だめなんだろう。すごく悲しい。そんなこと言った相手が憎い。だからあたしはあたしの感情のままや。無理に呑み込まん。あたしはあんたなんか嫌いや。
<2186> ぺあ(FB注意) ■2007年12月27日 木曜日 17時10分12秒
 人を助けたい思いも、どうにかしてあげたい気持ちもとりあえず、おあずけしよう。
 自分なんだもん、まずは。私は父が私が赤ん坊の頃から、双極性気分障害だった。そしてつい最近、いなくなってしまった。
 この事実に気がついたのは、父がなくなってから。
 あまりの傷つきに笑った。笑い続けた。排気ガスを口につけられている気分だった。
 でもずっと父の嘘に付き合って生きてきたのも事実。その間、学校では性格を常に否定され、改善させられようとばかりされていた。「もっとうるさくなりましょう」「おとなしすぎで心配です」「まじめ」。そして子供たちからのいじめ。「おどおどしていてむかつく」「何やってもあいつはOKだぞ」「いらいらする!」「お前がはっきりしないからいじめるんだぞ!」
そして挙句に体まで傷つけられた。
 小学校高学年から中学校高校浪人まで、程度の差はあれ、意識を自分で飛ばさないと生きていけなかった。だから自傷した。自分の心を同級生から守るために。絶対に私はいらついている同級生に見つかってしまう存在だったからね。
 そして大学時代には、人を助けるために奔走し続けた。ずっと。そして過去を考え続けた。でも父が自死して何もかもが本当によく分かった。それだけだ。楽になった。悲しいことなのかもしれないけども。正直に書く。楽になった。意識乖離状態で、親ににこにこして、生きているあの頃と今。ずっと人を殺すくらいの怒りや乖離状態で生きてきたから、現実に参加できない息苦しさがあった。人を弱い子を殺したかったと思う。自傷もしたかった。過去のいじめっこが喜ぶなら、姉や母が喜ぶならば。
 人は皆優越感に浸りたいんだとしかもう思えなかった。
 今は、どうだろうか。
理解者を得た。姉も母の本心も分かった。そして過去の話しもいっぱいした。私だけじゃないって分かったよ。
 今はね、やっぱり思い癖はなかなか消えない。
 「人をああ思わせちゃった」人の思い行動すべて背負おうとする。そのくせ、その人に好きで居て欲しいと心から思っている。人に嫌われるのが怖い。
 それから、メールの返信がこないのが怖い。悲しい。私を全否定されている気分になる。弱い子を見ると、意識のどこかが(自傷行為なんだけどね)「殺せ」って言う。そしてもう一人の私がぐさって心をえぐられる。自分をこの世で一番汚い醜い女な気がする。そういう心のどこか、いや頭が「殺せ」って言う時は、まずは弱い子供、一人で居るところを見たときに。
 大事な猫がじゃれ付く時に。
 永遠に続いて欲しい「喜び」を絶対に続くわけないから壊したくなるのね。
 コントロールしたいの、すべて。人の私の幸せと不幸を。そして弱いものを追い込んで、本当に殺さないけども、痛いところをたっくさんついて、心は壊してやりたくなるんだ。
<2185> ミン ■2007年12月26日 水曜日 22時06分37秒
苦手と思う人と接すると自分に自信が持てず、顔色が気になって
機嫌を取るような行動や発言をする。今日もその連続だった…
私ばっかりしんどい気がする。皆に馬鹿にされて見下されてると感じる。
協力してくれないと心の中では恨みでいっぱいになる。
正直に言うと、私は悪くないって思っている。でも心の中では私を攻撃する者がいる。私だけが悪いような気になる。その場から消え去りたいと思う。
不安で何も話せなくなる。
なんとかしなくちゃって焦るのは、無力と認めてないからだよね?
私ね、できてるつもりでいたんだ。でも意思の力にすがりついてるって思った。まだ「自分でやらなきゃ」ってもがいてる。
<2184> みゅー ■2007年12月26日 水曜日 15時15分12秒
12月24日は久々に、母の付き合いに参加した。はっきりいって、迷った。2、3度、4〜5年前は毎年、この母の付き合いに付き合ってた。
この時はなんで付き合ってたのか分からない。だけど、「回復」の道を選んだあたしは、お母さんへの「お義理」に疑問を持つようになった。
先生にも「あなたは、お母さんのために、わざわざ自分の好きでも無い事に付き合ったりする必要はないんですよ。」って言われた。
あたしが「回復」を選んで、「自分の好きな事」するのに、「母にうしろめたい。母に悪いことしてるんじゃないか。母があまり、いい顔しないから。」そういう事を、先生に伝えたから、そう言われた。もう、4年ぐらい前なのかね、それぐらいの時かな。それから、母の付き合いに「お義理」で付き合うのはやめたんだ。

だけど、今年久しぶりに行って、はっきりいって「来なきゃよかった・・・」って思った。母は喜んでた。あたしがいて嬉しいのか、すごくはしゃいで、よくしゃべってた。料理は、やっぱり苦手なフレンチ。「食えないもんばっかだよ、やっぱし・・・」。あたしは「好き嫌いが多い」きっと、男にとっては、もうそれだけで、あたしは「面倒な女」だろう。ただでさえ皆が避けるような診断書に「強迫性障害」なんて「主たる「精神障害」」の欄に、書かれるような、もうそれだけで、周りから引かれてっちゃう、「面倒な女」だもん。

何書いてんのか分かんなくなってきたけど、今年は「お義理」で行ってしまったんだ。来年たぶん、あたしは、ひとりで遠出する。その為に「義理人情」じゃないけど、「お母さんのに付き合ったんだから、あたしもいいでしょ」。そういう気持ちだった。あと兄ちゃんの、お母さんがいない間の、色々聞かれることや、世話するのから逃げたかった。そういうのもあった。

でも、母には、あたしの「お義理」は通用しなかった。帰ってから、PCで母のいる間は見ないサイトを、母の目の前で見た。かなり勇気がいった。でも、お母さんは、やっぱり「いい顔」しなかった。
次の日に、お母さんから「なんだか、イライラする」って言葉聞いた時、虚しくなった。お母さんは、自分が本当に楽しくて、あの習い事や、そのイベントに参加して、ほんとに楽しいって思ってるから、あんなによその人と、しゃべったりしてるのかと思ったら、やっぱり「気ばっかり使ってる人なんじゃん・・・」って思った。

あたしは、自分が外に出て「自分の楽しみ」思いっきり楽しめるように、なったから。だから、お母さんにも「お母さん自身の楽しみ」を、思いっきり楽しんでほしいのに。
来月、病院に行って「お義理」した事、先生に話したら、あきれられるだろうなあ。「そういう気持ちで付き合うんだったら、おやめなさい。」って絶対言われちゃうだろうなぁ。でも、先生に、そう言われなくても、あたしは「お義理はもういや」って気持ちがあるから。だから、そういう気持ちがあるうちはもう行かない。
なんか食べなきゃ。お腹すいた。今日はまだなにも食べてない。さっき起きたばっかだし。キーも重い。これで今年は、今日が最後の書き込みだろな。
<2183> ラビット ■2007年12月24日 月曜日 11時07分48秒
なんか今一人でいっぱいいっぱいになってる。体の疲れや痛みが抜けないのもあるし部屋にいて聞こえる家族のだす押し入れをしめる音、窓を開け閉めする音、階段を上る音、その音や存在が僕の心を圧倒、圧迫する。父親に関してはほぼわざと大きな音をたてていると感じる。昨日はクリスマスムードの街中へ出かけたのがなんか気分を落ち込ませたのかな。普通に楽しんでいる人をみてそれができない自分が負けたような気がしていたのかもしれない。そんなんも嫌やな。ポジティブな発想思いうかばへんかな。
<2182> アラタ ■2007年12月23日 日曜日 19時30分59秒
楽しむってどういうことか。


目の前のことを味わうので必死ってかんじだろうな。



もう、楽しい最中に
罪悪感とか「こんなことしてる場合じゃない」と思い出し
そこにいられなくなって、号泣してにげたり
意を決して胸のうちを明かしても
誰も司会してくれなくて 私が悪いみたいに言われ

そういうのもうやだな。
<2181> WINNIE ■2007年12月23日 日曜日 03時20分03秒
母の嫌な所、それは高飛車な所。世話をしてもらう立場になって、それはかなりマイルドになった。そんな態度では、十分にしてもらうことができないと、本人も感じたのだろう。でも、私といると、やっぱり時々それは顔を出す。

それに、母が変わっても、その影響を受けて育った私の心は傷ついたまま。

私が困っている時、苦しんだり辛くなっている時、それを母に訴えると、決まって惨めで情けない気持ちになる。

この萎縮した心が、なかなか癒えていかない・・・

母は言う。「家族といる時ぐらい、気を使いたくない、言いたいこと言っていいでしょ」そうしながら、母の自由のために、私は感情を解放できなくなっていた。

子供の時よりは、私は知恵をつけた。言いたいことを言うべき時は言う。Npも言う。そうしていいのだとわかって、言動は変えられても、私の感情は、ちぢこまったまま。

私の感情の健康が、取り戻されますように・・・いつか必ず。

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This script written by Shintaro Wakayama.