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私たちの物語 - 心の持ち方・感情・過去ログ No.11
メッセージ数:220件

<220> 杏 ■2004年02月15日 日曜日 04時30分37秒
はたから見ると、それはそれは幸せな人間に見えているらしい。
「あんた、幸せだよ〜。私見てごらん?」
「かぁ〜、またノロケだよ〜」ってね。
多分本当に幸せなんだと思うよ。
自分が置かれている立場を書き出して読んでみると、幸せそうだもの。
私をこれ以上ない程に理解してくれている旦那がいて、
毎日毎日「可愛い可愛い」って、撫でてくれる。出会って10年程経つのに。
でもいつも苦しいのは、私の中にあまりに乏しい感情の受け止め口があるから。
愛されても、褒められても、可愛がられても、大事にされても、
分からない事が多過ぎる。
逆に、けなされたり、叱られたり、批判される事を受け止めるのは大の得意。
威張って言う事じゃないけど、自分を茶化して言わないと身が持たない〜。
あまりに自分を笑い者にするから、色んな人に叱られるけどね。
叱られるのは本当に苦手。もう、生きる資格がないとまで感じちゃうから。
全く困ったちゃんな私。

深く深く傷付いた自分を、ピエロの私が笑う。
ピエロの顔って泣いてるんだよね、本当は。

いつもいつも罪悪感でいっぱい。誰かと食事に行くでしょ。
高級なものとか食べるでしょ。美味しいじゃない。
そうすると、涙が出てくる。
こんな私にこんな贅沢を・・・・申し訳ない。って。
仕事出来ない私には、ぜいたくする資格などない!って、
心の中で誰かが叫んでいるんだよね。親なんでしょうね。
ちょっと可愛い服を買ってもらう。お金を払う寸前で、
「やっぱりいらない!!」って、罪悪感に支配されて店を出る。
旦那は私に可愛い服を着せたがっていて、
いらないと言うととてもガッカリする。でまた、罪悪感。
どうすりゃいいの?

もう、こんなに毎日毎日自分の中で戦ってるんだから、
もういいかげん許してよ〜。疲れちゃったよ〜。
もうちょっとわがまま言いたいよ〜。苦しいよ〜。
愛されてるって、大切にされているって事を感じさせてよ〜。
はたから見える私を、私自身が感じたいよ〜。頼むよ〜。
幸せを、幸せだと感じられていない事が分かるから、
なおさら申し訳ないんだよ〜。
本当に愛していると感じて自分の口で愛してるって言いたいんだよ〜。
私の心は欠陥だらけだ〜。勿体ない・・・・・。
<219> ねここ ■2004年02月15日 日曜日 00時11分01秒
しばらく考える事をやめているな。。。
一段落したら、また新しい自分の中にある考えたいものの存在に気が付いて
なにかもぞもぞとしているのだけど、それに取り組むエネルギーがない。
最後まで書けるかな。
あ、もう何もない。
書いては消しての繰り返しで、書きたいのだけどまとめたいのだけど
出来ないんだなぁ。
エネルギー不足ということなのかな。
焦りの気持ち、ちょっと芽生えそうだったけど、ちゃんと今の自分を見てあげよう。
頑張らないことは悪いことではない。
むしろ自分の限界を知ることは自分に良い事だよね。
今無理にほじくり出す必要はない。


<218> しばわんこ ■2004年02月14日 土曜日 18時02分34秒
だるい。何にもしたくない。感情がない。
だるくて、よく眠れない。
目が覚めると、とっくにお昼過ぎてる。
何時間も眠っていたはずなのに、ひどく疲れてる。
ちっともすっきりしない。
ゆううつ・・・。「うつ」も感情なのか。
ああ、もう、生きてるのいや。
<217> とら ■2004年02月14日 土曜日 03時32分40秒
自分を傷つけてしまう。心中で。だめなヤツだと思ってしまう。十分やっているのに。誰も、分かってくれない、今でも感じる。現実、いるのに。ブロークンにしか語れない。素になると、連続して話すのはおっくうなんだ。書くのも。幼いんだもん。仕方が無い。こんな自分を受け入れ続けたい。
<216> とら ■2004年02月14日 土曜日 01時20分27秒
心の持ち方って自分が小さな時に経験したことと関係があるように思う。
多分、僕はサイレントベビーだった。手のかからない子だったらしいから。
それだけに今、チャイルドはワーワー泣いている。見て欲しかった。
受け入れて欲しかった。
<215> まんまる ■2004年02月14日 土曜日 00時46分09秒
なんかね、うっすらと分かってきた。
「寄り添うふり」という風に過敏反応するのは、自分が親に必死でやっていた姿を連想するからなんだ。

また同じ思いするのかと思うと、うんざりするんだ。
多分、ちがう関わり方があるんだろうね、人との間には。

どうやるんだろう。
<214> 埴輪 ■2004年02月13日 金曜日 22時43分56秒
自分の子供時代を語る時、
「子供の頃」という表現を使うことができない。
まだ自分を子供だと思っているから。
年齢は、もう子供じゃない。
社会的には、ある意味ガキかもしれないけど
もう大人になる年。
・・・。
<213> NAC NAC ■2004年02月13日 金曜日 12時50分49秒
なぜ私は泣くのか?
今日の朝、私は運転しながら内面からメッセージが上がってきた。

「感情の溶解」

長いこと「永久凍土」にあった私の感情。
それが、カウンセリングや自助グループなどの周りの暖かさと、自分が自分自身と向き合うことで、その「凍っていることすら気が付かなかった」自分の感情がゆっくりと溶け出しているのだろう。
だから氷が溶けて水となるように、自分の感情が涙となって溢れ出しても全くおかしくはない。

私が本当に言いたい言葉は、その氷の核心だ。
今はまだその核心すらどこにあるのか?わからない私であるが、自分の言いようのない寂しさの感情の根っこに「何かが控えている!」のは私の直感で明らかだ。
でなければ、これだけ自分の意識と無意識で感情が矛盾するはずはない。

「自分の言葉と格闘する」
どこまで自分の感情と向き合っても、自分のインナーチャイルドの感情に終わりはない。
私は良くも悪くもパンドラの箱を開けた。
自虐的になってでも、自分のインナーチャイルドの感情を受け止めなければいけなかった。
そういう時期に来ていたのだ。

泣けてくる。
映像は浮かんでこなくても、「寂しかった」感情だけは自分の無意識に残っている。
なぜ私はこういう思いをしなければいけなかったのであろう?
なぜ私の周りには自分の感情を受け止めてくれる人がいなかったのであろう?
どうして我が家では「感情を出すことがタブー」だったのであろう?

自分で答えがわかっているがゆえに、私は自分のインナーチャイルドの寂しさがよくわかる。
「よく耐えてきてくれた」
今私は涙にくもってそれしか言えない。
ありがとう、私の大切なインナーチャイルドたち。
<212> りりー ■2004年02月13日 金曜日 01時25分13秒
車を運転していて、後ろから抜かされると動悸が激しくなってムカムカして
アクセルをベタ踏みしてしまう。
トロくて邪魔だとバカにされてると無意識に思っていたみたいだ。
なのに、制限速度より明らかに遅く走っている車には、同じように腹が立つ。
私はこんなに気を使って運転しているのに…。
事故起こしたり、違反で捕まる前に、なんとかしたい。
<211> umi ■2004年02月12日 木曜日 23時59分17秒
私の中にある固い怒りの塊。
この怒りの塊は私をブロックして、解放してくれない。
時々、激しくその怒りは私を攻撃してくる。
そして私は誰かにその怒りをぶつけてしまう。

ずっと怒っていると、幸せはこない。
愛は生まれない。
そういう風に本に書いてあった。

怒りから解放されたいよ・・・。
<210> まんまる ■2004年02月12日 木曜日 14時25分48秒
なんかね、色んな気持ちに寄り添う時の言葉が白々しく感じるんだよね。
投げかける「言葉」が信じられないんだよね。

すごく心配してる「振り」してるんじゃあないのか?
でもいいよなあ。
「振り」でもしてもらえるなんてさ。
いつもさ、私の上を通り過ぎていくんだよな。
絶対に手が届かないんだ。


<209> NAC NAC ■2004年02月12日 木曜日 09時14分10秒
なんて言ったらいいのか自分でもわからない。
解き放ちたいのは、自分の奥底に眠る感情だ。
最近の私はお蔭様で調子がいい。
だけど、
どんなに表面上の自分の意識では調子がよくても、自分の内面の奥深くである無意識のところでは相変わらず「強烈な寂しさ」が渦を巻いている。
自分の心が外に向かって開けば開くほど、自分の内側の「寂しさ」が診えてくる。
辛い。
なぜこのような「意識の矛盾」「感情の矛盾」を、私は感じなければいけないのだろうか?
なぜ自分の意識がハッピーなのに、自分の無意識はハッピーにならないのであろうか?
今の私は自分のインナーチャイルドの感情をキャッチし、認めてあげることはできるし、また、自分でなんとかできるようになった。
でも、自分の子どもの感情の認知はできても、その「寂しさを包み込んであげる」だけの暖かさは今の自分にはまだ少ない。
嫌、全然少な過ぎる。

泣けてくる。

なぜ私は泣かなくてはいけないのだろう?
なぜ涙でしか「自分の寂しさ」を表現できないのであろう?
辛い。
自分の心と向き合うのは辛い。
でも向き合わなくちゃいけない。
でもやっぱり辛い。
「辛いものは辛い」
それすら自分で認めたくないくらいの「辛さ」だ。
でも私は生きている。
そして自分の感情も活きている。

「感情を認めてあげること」
それだけが私の寂しさを救ってくれる。
<208> 毬藻 ■2004年02月11日 水曜日 10時56分00秒
母は私の成績やテストの点が悪いと、ヒステリーを起こし
散々罵られて、無茶苦茶殴られた。「お前なんか産むんじゃなかった」
「恥さらし」なんて事もずっと言われてきた。

私は社会人になって、海外で一人暮らしをしているけど、
今は母は手のひらを返した様に誇らしげ。自慢の娘といわんばかり。
前は高校名を絶対に言うなとか、バレるから制服でうろうろするなとか
言ってたくせに、今では私が海外で暮らしてる事を近所にペラペラ
喋ってる様子。すっごく腹が立つ。

私の従兄弟(母の甥)が今年の高校受験をした時、
母が先輩面で「高校受験なんて何とかなるわよ〜。」
なんてアドバイスしてるのを聞いて、ものすごく腹が立った。
私が中学生の時は点数やら成績にいつもキリキリしてて、
暴力ふるって暴言吐いて、私の部屋をめちゃくちゃに荒らして、
散々なことして来たくせに、お前何なんだって感じ。

母が幸せそうにしてるのが凄く憎い。
でも縁切れないでいるのが苦しい。
<207> ブロン ■2004年02月11日 水曜日 01時56分49秒
まわりをみわたすと、相談出来るような人がいないや。
誰しも楽しい私、明るい私を求めてるんだもの。
つまらない話は誰だって聞きたくないだろうし。
ひとりぼっちだな。
でも、ココにくれば少しは勇気をもらえる。
だって、みんな苦しんで悩んで毎日どうにか生きてるから。
がんばらないと。
前に進んでいかないと。
でも。。。
寂しいや。

<206> えり改め衿 ■2004年02月11日 水曜日 00時14分52秒
小さい頃から、自分が透明な膜に包まれている感覚に苛まされた。
言いたいことは沢山あるのに、口がうまく開かない。
手足の動かし方が分からなくなる時がある。
自分のカラダが、自分のものなのか、分からなくなることがある。

まるで、TVアニメに出てくるロボットにのったパイロットのような感じ。
マニュアルを熟読し、コントローラーで、命令を出し、ロボットに生活をさせる。
初めは、初心者パイロットだから、とても苦労した。失敗ばかりだった。
でも、26年も乗っていれば、なんとか乗りこなせるものだ。

どういうときに笑えばいいか、相手にこういわれたらこう返すのが一般的だ。
こういう場所では気を利かせていろいろしなくてはならない・・・
こういう態度の人が、人気があるんだ。
こういう感じの女の子なら、男に好かれるんだ。

データ収集に余念がない。26年間ずっと。
まったく勤勉なパイロットだ。毎日毎日失敗におびえながら、コントローラーを握っている。


・・・・これが「離人症」なのだと気づいたのはほんの三日前のことだった。
私は、やはり「正常」ではなかった。でもほっとした。
「正常値の範囲内」で生活できていても、違和感が苦しかったのだ。
私だけがおかしい。でも原因は?私は正常なのに?これって性格のせいなの?

自分の持っている感覚をズバリと言い当てられたことで、答えが見つかった気がした。
持病だったら、気長につきあっていくしかない。無理にこの感覚を矯正しようとしなくていいんだと。
けれど、操縦は続けなくてはいけない。
矛盾してるけど、私は社会で生きてゆきたいのだ。
ない感覚を、あると偽って暮らすしかない。操縦をやめたら、ロボットは動かなくなるのだから。
<205> MARU ■2004年02月10日 火曜日 23時38分46秒
寂しいんだ。

人が怖くて、社会が怖くて、ひきこもる事にした。
楽になった。
1日中、お菓子を大食いして、ゲームばっかやり続けた。一気に体重が増えて、風呂にも入らないで、部屋も汚れ放題。
何がしたい?って、自分に聞いてみても、特にやりたい事なんかない。
お菓子もゲームも、いいんだけど、飽きた。
けど、他に何にもないし、やりたくない。

単発のバイトを入れてみた。
単発なら、耐えられる。
楽しかった。
会話に飢えてたんだ、って思った。
何でもない世間話。
単発だから、いい顔しても、しんどくならない。
いい顔して、頑張って、チャキチャキ働いて、褒めてもらえると、嬉しかった。
私、本当に寂しいんだな。
<204> SUN ■2004年02月10日 火曜日 16時10分32秒
私は今、自分の一番嫌いなウソをついてるのかな。
私はどうしたいんだろう、よく分からなくなってきた。
生きることと死ぬこと、そればっかり考えている。
でもそう簡単には死ねないんだよね。
ACの回復はどうするんでしょう。
私は今自虐行為をしている。
うーん、死にたい病が消えるまで、お話するのは辛いかも。
自分にウソつきたくないけど、すでについてるところもあるね。
とりあえず、生きていようで納得できるか?
頭の中で考え方が統一されてないと混乱するのかな。
考え方で発言も変わってくるしね。
とりあえず、体は生きていこうでいいかな?自分。
何故死にたいのかというと、楽になりたいのかなやっぱり。
今の状況を終わらせたい、ここから逃げたいのだろうか。
ほんとに死んだら楽になるんだろうか?
死後の世界は分からないけど、寿命を全うせずに死ぬと死後も苦しむらしい。
どうなんだかよく分からないけどね。
体は暇で頭はフル回転の状態。
どんどん考えが溢れてくる、頭は疲れてしまうよ。
あまりに状況が変わらないので、嫌気がさしてきたのだろうか。
ほっておいても、自分の命日へのカウントダウンは毎日進んでいる。
いつかは死ぬんだよな、焦って死ななくても。
そういえば、残される方の立場になりたくないとか言ってたな私。
今はそういう感じではないかも。
どうしたいんだろう、もうよく分からない。
そういえば今年は運気が悪いらしい、何をしてもダメらしい。
病気すると慢性化して大変らしい。
とりあえず、自虐行為は止めたほうがいいかもね。
もっと楽しいことしようよ、自分。
<203> 想子 ■2004年02月10日 火曜日 10時39分28秒
心の持ち方、というのは日に日に変わるので、それって躁鬱っていうものかしら、とも思うのだけれど,実際は自分が誰とも関われないことへの恐怖からなのだとおもう。それでもいっぱしに何かになろうとしているんだから、怖い。何か、というのはなろうではなくて、ならなければ、に近い。私はそれで幸福ではないし、でも色んな心の葛藤を誰かにおしつけるわけにもいかない。抱きしめてくれれば全てが解決するのにと安易に思ってしまう自分がいる。ジショウ行為だとか、キョショクだとか、そういうことにたやすくなっている。ヤクブツとかも。でも、それがなんにも解決にならないことも知ってる。心にはてがあるものは、世界の果てにいかねばならぬ、という文を、いつも心に抱えている。そうだ、果てにいきさえすればいいのだ、と。でも地球は丸いので、どこにも果てがみつからない。いっそサバンナでもいって地平線でもながめていたら、果てがみつかるのかな、とも思う。今はなにを本気でやればいいのか。何を求めて生きたらいいのかわからない。それでも生きているのだから社会に出なくては行けないし、生きているのだから社会を観じなくては行けない。活きているということでは、まったく無意味な自分だとしても。心の中は秘密裏だな、とつくづく思う。誰にも悟られてはいけないし、普通な顔をして電車に乗り、買い物をして、そしてテレビをみる。でも心の中では果てを探している。もう、どこへも、果ていがいどこへも行きたくはないということに、誰も認めてくれないから。もし。一緒に果てにいきませんかという誘いがあったなら、それは多分果てではなだろうから、断わるだろうけれど、←えてしてこう言う誘いにろくなものはない。心の果てを知っている人に聞きたい。あなたが果てを見出しているのはなんなのか。私は誰にでも優しい。誰にでも心を開かない。それは果てがどうしても抜けないからだ。共有できる果てなどない、とかんじているから。衝動、というのがでも、一番怖い。そこには闇があるから。弱くなると闇が近づいてくる。また、誰にも話しては行けない話がでてしまいました。いきつく果てしのない物語になってしまいました。でも、思うこと。世界に果てがないのなら。わたしは何恐れることなく明日を迎えられるのに。
<202> えり ■2004年02月09日 月曜日 23時46分11秒
「会社での自分」マイペースで、のんびりとしていて、天然ぽい私。
「友達といる自分」五月蝿いくらいにはしゃいで、はじけた私。
「初対面の人とあう自分」おとなしく、優しそうな感じの私。
「家族といる時の自分」ちょっとトロいとこもあるけど、気を配る私。


・・・・・・TPOにあわせて、自分を着替えてる感じ。
裸の私はどんな人なのかな?
沢山服を持ちすぎててもう分からなくなっちゃった。
<201> NAC NAC ■2004年02月09日 月曜日 07時20分17秒
「心ない中傷やビラ巻きをする人」の、こころの奥底はいかなる感情が留まっているのであろうか?
私がそんなことを話すのも、この日曜日に、そうした歪んだ感情表現の人の悪癖に私は巻き込まれ、精神的にちょこっと被害を受けたからである。
他に例えて言うなら、姿の見えない、そして自分の怒りの持って行き場がない「自分の愛車への10円玉引っ掻き傷」の被害のようなものである。
そうした被害に遭われた方には、ほんとムカツク話だ。
でもそうした歪んだ人間に「自分が標的にされる」には理由がある。
私は”良くも悪くも”目立つ人間だ。
その良し悪しはここでは省かせていただくとして、人前で目立てば、暖かい声援を受けるときもあれば、上記のように理不尽なやっかみを受けるときもある。
そして今回、土曜日の練習でその事件は起こった。
自分なりの練習を、誰に迷惑かけるでもなく、また怪我することもなく私は無事終えて、簡易シャワーで頭と顔を洗って、さっと上半身をタオルで拭いて、「さぁお帰りですよ」と車に乗り込んだところ、愛車のワイパーに紙切れが挟んであった。
私は「何かのお知らせかセール案内?」と思って、車から降りてその紙切れを開いてみたら、私への中傷だった。
その内容は、子どものような下手糞な字で「お前はバカか。そんなヘボ糞練習して何になる。とっととやめちまえ」だった。
当然私の怒りの感情は(内面で)「瞬間湯沸し器」と化し、すぐさま自分の頭の仲で(決して自分には見つかろうはずがない)「犯人探し」を始めた。
私は「自分が心ない中傷をされるほど、誰かを直接なり間接なりで傷付けたのか?」自分で思い返してみたが、今以て私には思い当たる節が全くない。
「なのに、なんで自分がそんなことを言われなければいけないのか?」
自分には理解し難い「やり場のない」理不尽な怒りの発生である。
とりあえず私はその紙切れを、自分の怒りの感情のまま細切れにして社内のごみ袋に捨てた。
そして「どうしようもない怒り」と自分でわかったので、好きな音楽を架けながら帰り道「いったいそうした人の生育暦は、そして日頃のストレスはいかなるものなのか?」
「あ〜でもない、こ〜でもない」と、自分なりに「悪癖ある人」に対して思いを巡らせた。
結局そうした歪んだ人のこころの襞まで私は想像しようもないが、その思考を巡らせた時点での自分のこころの持ちようは、まさしく「エースをねらえ」であった。「どんなにスーパースターでも、それを気に食わない人(ファン、または一般者)は必ずいる。よく考えれば『自分がやっかみを受けるようになった分だけ』自分は(良くも悪くも?)成長している証拠である。そうした歪んだ人は自分よりも実力が上の人の『実力』を、『実力がない』自分で認めるのが無意識で苦痛なのであろう。ほんと愚かだ。歪んだ人間はこうした心ないことをすることで「してやったり」の心境なのだろうが、お生憎様。
今の私は『岡ひろみ』状態だ。今回(姿の見えない)心ない中傷で確かに私の心は『ぐらっ』ときたが、根本から崩れることは決してないし、それだけ私は自分自身の中に『根っこ』を深く這わせつつあるので、そのくらいの風では揺れはしても倒れることは決してない。逆に『じゃ、そうした歪んだ感情表現しか出来ない人間にも四の五の言わせないよう』(下手糞な)自分がより一層練習に励めばいいだけの話でもある」
ほんと愚かな人間のすることは滑稽だ。
逆に私はその見えない犯人に向かって「自分のやる気、闘争心をさらに引き出してくれてどうもありがとう」と言ってあげたい。
「いつかは見返してやる」
そのスピリットが私を後押ししてくれる。
だから私は懲りずに飛ぶのだ。
「NAC NACー」

というわけで、週末も私は観客の前で「アクションジャンプ炸裂」だ。
「やっほー」

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This script written by Shintaro Wakayama.