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私たちの物語 - 小説・映画・夢などに関する連想・過去ログ No.6
メッセージ数:120件

<120> およよ ■2004年04月25日 日曜日 08時37分24秒
私には一つの夢がある。
自分が精神的に経済的に回復して、安定した家庭がもてたら、
子供を引き取りたい。
私のように悲しみでいっぱいで、
でも生きていかないといけない子供を引き取って、育ててみたい。
できるかわからないけれど、それが、幼いときの自分への恩返しだと思う。
辛かったのに、よく生きてきたねって、抱きしめてあげたい。
それは、自分を抱きしめているんだ。
自分ができなかったことをしてあげたい。
これって、本当の愛情だろうか?
その子を、そのまま受け入れること、私にできるだろうか。
今は自分のこどもで悩んでいるけれど、
子供大好き。子供の傍にいると、幼かった自分が癒されるのを感じる。
何度も、何度も、子供時代を生きているような気がする。
子供の悲しみが自分の悲しみとかさなり、
子供の喜びが自分の喜びとかさなり、
自分の中の子供の頃の傷が、少しづつ癒される。
そんな気がするから・・・・
<119> キーコ ■2004年04月20日 火曜日 23時27分35秒
映画好きが、復活してきたかなぁ・・・ていう感じ。
何でも、いいから『これは、好きです!』と言えるものがあれば、生きる張り合いにもなるしね・・・。
調子が悪いと、な〜んにも楽しめないってことが、嫌ってほど分かりました。
今日の映画は、かなりハードな内容だったけれど、脚本とキャストが良かったから、大満足。
脇役の犯人役、何て俳優だったかしら。
かなり個性的な人の、ファンなんだ。
観てみないと、分からないのがまた、魅力でもあるんだけれど。
<118> ありさ ■2004年04月19日 月曜日 01時53分26秒
このところ苦しい。
とても辛い。
悪夢を見そうなものだが、幸せな夢を見た。
夢の中で、これは夢と分かったから、なるべく引き伸ばそうとした。
幸せだった。
嬉しかった。
目覚めたら涙が出てきた。
夢の中の私はとても幸せだったのに、現実の私は違うから。
これから薬を飲んで床に入る。
また幸せな夢を見るのだろうか。
あんまり幸せな夢も辛いんだって始めてしった。
夢の中だけで幸せだなんて、哀れみたいで悔しいじゃないか。
私には似合わない。
私は私を哀れになんて絶対にしない。
<117> 衿 ■2004年04月17日 土曜日 10時04分39秒
「ふしぎなメルモ」というアニメが昔あった。
小さな女の子が、ふしぎなキャンディを飲むと大人になってしまう話だ。
赤いキャンディが大人になるやつで、青いのが子供に戻るやつだったかな。
メルモちゃんは大人になると背がのびておしりとおっぱいが大きくなる。どこから見てもスタイルバツグンの大人のオンナだ。
でもメルモちゃんの頭の中は子供のまんま。それで騒動が巻き起こる。

最近、メルモちゃんは自分みたいだなあって思う。
背ものびて、おしりもおっぱいも大きくなった。でも全然頭の中は変わっていない。
私はメルモちゃんと違ってキャンディを持っていないから、大人になったフリをしつづけるしかない。
<116> キーコ ■2004年04月15日 木曜日 21時39分58秒
今日、録画しておいた「映画」を観た。
とっても、心に染みてよかった。
少しずつだけれど、罪悪感なしに遊べるようになれたかな?。
ちなみに、ロードショーで観たい映画が、目白押しだ。
前評判が高くても、もうひとつ良くなかった作品もあるから・・・。
さてと、どの作品を選ぼうかなー。
<115> 真実 ■2004年04月13日 火曜日 00時11分31秒
 汗をかいて、目が覚めた。きみの夢だ。きみが出てきた。
 きみの姿が、はっきりと思い浮かんだ。逃げられないなにかみたいに。わたしは額を手で覆ったんだ。頭がはりさけてしまわないように。
 きみはわたしに「真実(HN)、許してくれ」と言った。「許してくれ・・・」わたしは何が何だかわけがわからなかった。『許す?』
 「ああ」ときみ。きみは罪悪感を感じていたんだ。わたしが精神科に通うようになったのは、自分のせいだって。違うんだ。きみは・・・責任感の強い人だったからそう感じたのかもしれないけど、実際は、そうじゃない。安心してください。泣かないで・・・。ぼくも泣きたくなる・・・。
 きみに伝えようとした。でも伝わらなかった。それはしかたない。私はあきらめればよかったんだ。無意識のうちに、君を変えようとしていたんだ。君が変わるって信じていたんだ。それは間違いだったんだ。だから。許してください。
 
<114> 真実 ■2004年04月12日 月曜日 20時47分10秒
 ♪「悔しいから 私から別れてあげる いい女演じるのは まだ早すぎるかな 」「切なくなるはずじゃなかったのにどうして」・・・♪
 宇多田ヒカルさんの「Movin’on without you」。今、頭の中で流れてるんだけど、どうして?・・・。
 私は、気持ちと頭の中の音楽が密接になってることが多い。今は・・・。Rくんという人に依存だったんだけど、まあ、好きだったというのがあって、近づいたんだけど、相手からはあまりハッキリしたメッセージがなくて、煮え切らないなぁと思いながらも、ズルズルズルと引き込まれて。結局、苦しさに耐えられなくなって、逃げ出した、避難した、という感じ。(★思い出した。)あれは何だったんだろう?歌で気持ちを伝えてて、・・・何を思っていたのかな。感情表現が、普段あんまりできない人だったんだと思う。電話すると・・・黙っちゃう人だった。彼にはいい女に思われたくて、私だって無理してたからなぁ。お互いさまだな。ホント、「切なくなるはずじゃなかったのにどうして」♪?という感じだな。胸が苦しい。
<113> ayako ■2004年04月09日 金曜日 01時22分52秒
映画「黄泉がえり」死んだ人達が蘇ったという物語。ホラーだけどヒューマンドラマになってた。恋人が黄泉がえって欲しい女とその女と長年友人で、好きだと言う気持ちを伝えられない男。RUIが歌う歌が切ない。結局恋人は蘇らない。
女は交通事故で死んでたから天国に行ったのだけどお互いの気持ちは通じあった。
気持ちが通じたのに女はこの世から居なくなった・・。
切ない。物語は男が前向きに生きていく事で終わってた。私は普段感動物とかは見ないけど、気持ちが残ってた人が生き返ったとか過去に関する物は見る。
見終わったら不思議な感覚になる。切ない物語は良く見る。恋愛物が主。
恋愛ってどんな感覚?好きって?切ないって?どれも想像の範囲内。依存してた男を好きだと思ってたけど・・違うとセラピストに言われた。母親に対しての感覚なのだそうな。私の感じた気持ちは一体・・!って思った。「好きな部分はあった」お互いに。とも。何を信じたいのだろう?こんなにはっきり言われたのに。
自分が恋してたって信じたいのかな?恋してると思った自分に酔ってた部分はあった。でも恋じゃなかったんだ!恋は良いもの?女性誌には恋しなきゃって書かれてる。本当にそうかな?
<112> およよ ■2004年04月08日 木曜日 22時47分49秒
夢から覚めても、現実と夢が区別つかない。
良くあることだけれど、最近は酷いな。
心配だから、子供に聞いてみた。
母「○○だった?」
子「いや、違うよ。」
母「アー夢だったのかー。」
子「お母さんて、いつも変だから」
母「はぁ?!」「あんたらは、今日はどんな夢見たの?」
子「おぼえてねーよ」
母「そんなもんかね?」
子「覚えていても、話すもんか!」
母「あんたら、チョときついなー、いったいどんな夢みてんだよ」
子「別に、たいしたの見てないから、覚えてないの!!」
子供たちも、私が変なのに、なれている。でも、これで良いのかと思う。
もっとまともにならないとね…
うつ病って、なかなか治らないんだね。そう思うよ。
きっと、明日は良い事がある。明日は元気になる。
今日も無事に済みました。それで良いのです。と思っています。
そんな会話が今は一番楽しい時間。だから、きっと大丈夫。
<111> なち ■2004年04月08日 木曜日 22時23分22秒
よく夢を見る。
その夢のことを私はすぐ忘れるのに、
ふとした時、特に夢と現実の間を彷徨っているとき(寝起き)に
昔々の夢を思い出す。
何故なのかと思っている。
いつも夢の中にいるみたいで景色は霧がかかっている。
<110> NAC NAC ■2004年04月08日 木曜日 20時43分51秒
ここのところ私はいろんな夢を見る。
先日も「私が小学校のとき苛められた同級生2,3人を(実際、柔道経験者の)私が投げ飛ばし、最後は皆腕ひしぎ逆十字で終わらせた」夢を見た。
その夢の中の私の怒りは半端じゃく、まさしく「ブチ切れ」モードで、相手に弁解の余地すら与えず「投げも関節も一発で極める」感じだった。
その夢から覚めてから私は「あぁー自分は(無意識のところで)当時の苛めっ子に対してこれほど怒りが溜まっていたのか! 同窓会の時はそんな嫌悪感は(意識の上では)感じなかったのに。あのころの感情凍結の自分は、苛められても自分の感情が出てこないくらい心が乖離していた。そうした自分の感情を「嫌だー」とはっきりと出せないから、余計に苛めっ子は面白がって苛めるんだろうな。こうして感情全てを心の奥深くに閉じ込めてきたから自分のの怒りはちょっとした刺激にも反応するんだろうし、だから自分はAさんの怒りにも付き合うことができるんだろう。同じ様なものを持っているのが自分で分かるから。故に自分はAさんの怒りの挑発にも乗らずに彼女の感情をいなせるんだろう。これも自分で客観的に診れるようになったからだよな。それにしても夢の中くらいに柔道巧けりゃ良かったよなぁ。あれほど『すぱーん』と一本極められれば気持ちいいだろうな。柔道家としては最高のエクスタシーだ」てなことを考えていた。

「意識と無意識の乖離」
それをできるだけ縮めていけるよう、これからも「寂しい」自分と向き合うしかない。
それが自分のインナーチャイルドの感情なのだから。
<109> およよ ■2004年04月05日 月曜日 10時01分59秒
夢だ。まただ。昔の家。お金がなくなって、困っていた時期。
私も苦しかった。
結局、長男と父親との関係が悪くなって、やめてしまった。
そんな頃の夢だ。
何故だろうか。いつも、森が出てくるのだ。
深い森に我が家が包まれている。ジャングルなのだ。
周りの家はそうでないのに、我が家が森になっている。緑がいっぱい。

そんな中で父親が心配している。父の心配そうな顔が出てくる。
母親は怒っている。
「もう、この店もだめだな。周りを見てご覧」と父がいったら、
周りが砂漠になっていた。誰も人が住んでいない。

母親の嫌味、嫌がらせ、支配、その頃はいやだなとしか思えなかったことが、
夢の中ではっきりと「母の悪意」として感じる。
アー、もういやだー。と思っていた。
だんだんと店の経営が上手く行かずに、
家の経済状態が心配になってくる自分、
「母の事なんて、どうでもいいや」と思っていると、だんだんと夢から覚めた。いやな夢だ。

どうして、あの家が出てくる時には、
いつもジャングルに包まれているのかな。
そのジャングルは涼しくって、やさしくって、
穏やかに私たち家族を包んでいるんだ。
あの頃の苦しかった、冷たかった家族関係が、
その緑の優しさで和らぐようなのだ。
<108> NAC NAC ■2004年04月05日 月曜日 06時37分01秒
先に107訂正。6行目の鉄也は鉄矢の間違いでした。不注意ですみません。

では本題。
日曜は雨だったので、午前中私は自宅で「仮面ライダー剣」を一人で観ていた。
2週間ぶり?のTV観賞だったが、またもや私は番組中の台詞で「不安」「恐怖」という言葉に感傷して泣いてしまった。
意識上の大人の自分と、無意識の「感情凍結」の小さい自分が一緒になって観ているような錯覚に陥る。
もちろん大人の自分は「かっちょえぇ」だが、子どもの自分には「何か耐え難い複雑なもの」があったらしい。

小さいころ「仮面ライダー」を観ていた自分の奥底にはいったいどんな不安や恐怖があったのだろう?
自分の存在を受け入れてもらえない家庭環境で小さい子どもが自分の感情を出すことは、今の自分では推し量れないくらい不安や恐怖、孤独を感じていたのではないだろうか?
ヒーローものを観ながらも感情が出てこない自分。
意識の上では既に己が心を乖離していたので何とも痛まなかったが、無意識の抑圧されたところではかなりの苦しみだったのではなかろうか?
弟と一緒に観た記憶も私にはない。
いつも独りぼっち。
そして周りには誰もいない。
「不安」や「緊張」
それが当たり前の家族。

実際には誰かいたのかもしれないが、自分の心を深く閉ざしていたので他人の存在を感じるセンサーすら全然機能していなっかったのは確かだ。
何がそこまで子どもを精神的に追い詰めたのか?
何ゆえ小さい私はそこまで追い詰められねばならなかったのか?

「毎日が感情の地獄」
出たくても出られない、終いには出る気力すらも奪ってしまう機能不全家族。

私は今の「仮面ライダー剣」を通して、昔の自分の感情を探る迷路に入ったのだろう。
そして子供心にも「どこかに答えがある」のはわかっている。
だけど子どもの背は低過ぎて、相対的にその感情の壁は余りにも高く厚く、さらに方向感覚の未熟さから「今自分が何処にいるのかさえも皆目見当がつかない」状態にいるのではないか?と思う。

「感情の迷路」
まさしくこんがらがった糸紐のようで、私は根気よく気長にやっていくしかない。
大事なのは失われた子どもの感情だ。
<107> NAC NAC ■2004年04月05日 月曜日 03時35分28秒
雨の日曜、地元の図書館で私は「草原の椅子(上)」(宮本 輝著)と「自己主張トレーニング」、そして「怒りの構造」(村瀬 学著)の計3冊借りた。
返却は2週間後なので、一気に読まないといけない。
もともと「宮本 輝氏の作品だけはなんか借りようかなぁ」で私は図書館に向かったのだが、現地で気が変わり、ぱっと自分の目に付いた上記の2冊も借りることになった。
この前TVでタレントの武田鉄也氏が「私は本屋で、自分の興味に拘わらず目に付いたものを買う」と言っていたが、それもまた自分の思考範囲を広げ、深くする手段であろう。
「目に付く」ってことは、自分のどこかにそれに引っかかるものがあって刺激されるから目に付くわけで、裏返せば、自分の中に何もなければ目に付かない。

「自己主張トレーニング」
 私は実生活でもよく喋り、「これ見よ」がしのPRをするACだが、自分に対する非難・批判も受け入れなければいけない。
そのこともこの本には書いてあり、私が実践できるかどうか?はまた別の話だが。

「怒りの構造」
 これは先週の「AさんとBさんの『お互いを突付き合う』悪循環バトルの根源とは?」からきている。
表面的な怒りに自分が囚われ巻き込まれることなく、「怒りの奥にあるもの」 それを自分は診なければいけない。

自分に足りないものはいっぱいで、読まなくちゃいけない本もいっぱいだ。
だけど自分の体はひとつなわけで、読書に割く時間配分を私はきっちり取ろう。
<106> きーそん ■2004年04月02日 金曜日 22時22分09秒
夢のお話。エレベーターに乗る夢を良く見る。
落ちそうな気がして、ドキドキしながら早く着く事を祈ってる。
いつもは無事に降りられるのだけど、一度だけ落ちてしまった事がある。
とっても痛かった。本当に痛かった。すごい衝撃だった。
あの時の私の精神状態はどんなだっけ?覚えていない。。。

この間はエレベーター&モノレールの合体した様な物で
私の行きたい所とは別の所にむりやり連れて行かれて
きーーーーーーーーって叫んだ。
目が覚めてから、本当に叫んでいなかったか不安になった。
<105> ツカサ ■2004年04月02日 金曜日 21時00分41秒
死を身近に感じたのは、これまでで2度。
一度は現実で、一度は夢の中で。

高校時代、年に2度ほど登山をしてた。
これから登る山で雪崩が起きるかもしれないと聞いたとき、
「死ぬかもしれない」そう思った瞬間、背中がゾクリとなった。
心の芯が闇の中に裸で放り出されたような感覚。恐怖。

夢の話。
僕の犯した罪が警察に知れ、僕は逮捕される前に自ら命を絶つことにした。
誰かが薬を手渡してくれた。あれは誰だったのだろう。
友達が2人、死に行く僕を訪ねて来てくれた。
小学校・中学校で知り合った、ふとしたときに、ほんのささやかな優しさをくれたから、いじめられたことも何度かあったけど、恨みに思えない2人。
そして僕は死を覚悟した。
儚い夢や、日々の楽しみ。想いはここまで。そっと絶ち、あきらめる。
僕は悲しみや寂しさを覚え、同時に「あきらめてもいいんだ」と、安堵した。
そして薬を口に含む。
何も起きない。
目が覚め、現実の世界で僕の命は続く。

最近見た夢。
地元から逃げるようにマンションに帰ってきたその夜に見た夢。
僕は戦場に行く。
死ぬだろうという、静かな確信。
列車の前で兵士達が、大切な人たちと最後の別れをしている。
喧騒。だけど静かな空間。
僕がお別れをする人は、昔好きだった女の子。
差し出された手の指先をそっと握る。昔と変わらない、優しい手。
僕は安らかに微笑む。
「好きだよ。ずっと友達だ」

ただの夢。僕の中の、何かが見せた、優しく醜く愛しい幻。まっさらな想い。
<104> ツカサ ■2004年04月02日 金曜日 03時36分25秒
「戦闘妖精・雪風(改)」という小説を読んでいます。
その中の「フェアリィ・冬」という章に出てくる、天田少尉という軍事基地の除雪作業員の悲哀に触れました。
彼はアルコール依存症なのかもしれませんが、彼には子供も家族も帰る場所もありません。
お酒で体を壊しながら、掃き溜めのような場所を唯一の居場所として死に場所に選んだ彼が、見に覚えの無い勲章の授与により、同じような境遇の仲間達にも敬遠され、唯一残された居場所さえ失う・・・
目的の無い生に耐えられるほど、人は強くありません。多くの人が「人生において成す」ことを持たなくても生きているのは、「ただいま」と言って帰る場所があるからだと思います。「ただいま」を言える相手がいなくても、同じ目線で「愚痴」を吐き出せる人が身近にいれば、人は崇高な目的など無くても、
小さな快楽から小さな幸せを得て、過酷な世界・人生でも自分を保つことができます。
それらを得られなかった人は、どこに向かえばいいのか・・

本に関して書きます。
ジャンルはSFですが、宇宙を舞台にしてはいませんし、時代も現代と言っていいでしょう。
戦闘機アクションがメインなので、専門用語も多くありますが、軍事や戦闘機に関する知識が無くても読めるものだと思います。分からない単語は感覚で処理しても物語の理解は妨げないでしょう。
(改)というのは(改訂版)という意味で、実際にタイトルに付いてます。
続編には「グッドラック 戦闘妖精雪風」という本が出てます。
ちなみにDVDなどでアニメ化されてますが、最近のものだけあってクオリティが高く、良作です。
<103> およよ ■2004年03月31日 水曜日 23時51分47秒
子供たちと一緒に「よみがえり」を見た、死には、一人一人のドラマがあるんだね。と私は行った。お兄ちゃんは死と生きる事に感動したような感じだった。弟は、人間が読みが得たら、すごい喜びだよね。といった。
私が言えなかったこと。母親代わりの祖母に会いたくて、泣けてくること。
何年ぶりか似合った祖母はぼけていて、私が誰か分からなかった。それを見て、そのごつごつした、手をさすり私は泣いた。まだ、高校生だった。
もし、私が成人していたら、ぼけた祖母を引き取って、抱きしめてあげたかった。祖母の死が近い事がわかっていたから、涙か止まらなかった。
祖母が死んだときった後。私は祖母から、呼び出されて、祖母のとこに行かないといけないと、焦った。何度も経験した。死んだはずの祖母は、私に相手イに来て、と私に呼びかけた。その度に祖母が死んだ事を思い出して、泣いた。
誰にも分からない、私の母親は、祖母だったのだ。私の母は、もう死んだのだ。今生きている母親は、生みの親。しかし、祖母は私の育ての親。
会いたい、会いたい、気が狂うほどに会いたい。もう一度、祖母に会いたい。
もう一度、抱きしめて欲しい。会いたい。死なんて、この世からなくなれ!!
<102> キーコ ■2004年03月30日 火曜日 14時37分10秒
小説は、今のところ「読めない」状態。
夢は、どうにか眠れるようになったけれど、全くみない(覚えていない)。
映画は、少しずつ また観られるようになって来た。
テレビ放送の映画を録画して見ている。いい作品を選らんでいるようだし、出かけるのが大変だから・・・。 以前の様に、空想の世界に溺れるようにして生きていく事は、なくなったけれど、結構「現実」と区別が付きにくくなる所はあるなぁ。
フィクションの世界は、私にとっては とても安全だから、どんなに「感情移入」しても、生きている人間と違って 関係を維持し続けねばならないということがないから。
でも、その世界でばかり 生きていくのも、空しいし寂しいと思う。
<101> NAC NAC ■2004年03月30日 火曜日 06時35分54秒
昨日の夜、某国営放送で「オラウータン」の特集を流していた。
私は動物全般に対して無知だが、オラウータンが母親一人で子育て(約8年)するのは知らなかった。
私は単純に「シングルマザーはこれを見たらどう感じるのだろう? 自分は今まで『子育てには父親と母親、その両方が必要だ』と信じてきたが、オラウータンの母親には人間で言うところの母性と父性の両方が備わっているのだろうか? もしオラウータンの父親も育児に参加したらその子供はどのように進化するのだろう? やっぱ男の子に母性だけ教えても、父性がないと人間として内面のバランスが取れないよなぁ。それにしても8年かぁ。人間で言えば小2だ。やっぱその頃までは親の愛情をたっぷり与えてあげないといけないんだなぁ。基礎のところを子供のときにきちんと満たされているから、動物には虐待するメカニズムがないんだろうな。学習しない人間よりも学習するオラウータンのほうがよっぽど賢いや」と私は感心してしまった。
ちなみにそのとき私の母親は新聞を読んでいた。
たぶん母親がTVを観ていても私のようには感じないだろう。

自分のこころを開かない限り感受性は育たないのだ。
自分に対してもオープン、相手に対してもオープン。
それが私の理想である。

Copyright (C) 1998 CGI Arkadia All rights reserved.
This script written by Shintaro Wakayama.