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私たちの物語 - 小説・映画・夢などに関する連想・過去ログ No.23
メッセージ数:456件

<456> こくーん ■2006年07月09日 日曜日 13時06分44秒
とあるきっかけで、とある合唱曲の1節が頭を離れない。

『悲しき人を さらに悲しみでさらに追い討ちするを 人生というか』

ネガティブになってるみたい。
泣きたい気分だ。
<455> 彦丸 ■2006年07月03日 月曜日 05時40分06秒
半村良の、晴れた空であったか、短編の一つであったか思い出せないが
詳細を覚えていないのに、私の中に根付いたシーンがある。
 戦時中の東京で、爆撃に遇う母と息子。炎に巻かれた母を息子が見つける、と
母は、「来るな、来ちゃいけない」と仕草であったか、叫んだのだったか、息子に伝える。
そうして、息子だけが生き延びる。

もう一つ、ハインラインの作品の中にも、同じように覚えているものがある。
『ある養女の話』だと思うのだが、定かでない。
 主人公ラザルスが、火事で焼け落ちそうな家に行きあう。
もう助けようもない程に燃え盛る家。その窓から、ラザルスに投げ託された、幼い子供。
子供一人が、助かる。

どちらも”親”が本来持つ子供への想いであるように、
現実の親より力強く、そのシーンが焼きついている。
 ”火達磨の親”は、子供が逃げ助かることだけを、強く望んでいるものだ、と。
<454> 秋 ■2006年06月30日 金曜日 11時54分19秒
今よりもっと若くてもっと苦しんでたとき、出会ったのが
五木寛之の大河の一滴。ベストセラーだね。
最初、単なる売れてる本ということで購入した。

が、内容にすーっと入り込めた。感情が・・
何度も読み直し、気に入ったとこを書き留めたり。
今、もう一度読む必要があるのかもしれないね。
<453> 秋 ■2006年06月22日 木曜日 12時34分25秒
某動画でムーミン第一話をみた。

感想は、タイトルどおり楽しいムーミン一家だと思った。
・・なんというか、温かいだよね。
愛にあふれてるかんじ。少しウルウルしちゃったよ。
小さいころは、つまんなそーって思って見たことなかったけど、
今思えば見ておけばよかった。
彼氏が、スナフキンに憬れてグッズ買う気持ちも少し分かりました。

私にはない、思いやりや温もりがあるシーンがあって、昔なら嫉妬しか
感じなかったけど、いまは、すごく羨ましい。
ほわ〜んとしたきもちになりました。
<452> くるみ ■2006年06月06日 火曜日 21時11分09秒
小学生の時に読んだ「かるいかるい王女」
心も体も軽くて、ふわふわ浮かんでしまう姫のお話。
涸れてしまった泉を満たすお話。
恋に「落ちる」お話。
当時は十分理解できなかったけど、
これは重要なお話だという確かな予感があった。
もう一度、よみたいなぁ。
<451> みゅー ■2006年06月06日 火曜日 03時10分59秒
ひきこもりって「ヒッキー」ってゆうんだってね。今あたし「ヒッキー」。
いいぢゃん。「ヒッキー」って。
あたし「シロキョ」の「財前」とおんなじなのな。人間ってみんな「孤独」っちゅーもんなんだけどさ、ACの人達とか、あたしの「強迫性障害」とかもってる人間とかってさ「普通の人間」よりさ「ひときわ孤独」なんだよね。カネ、ガンガン使いまくって「おひとりさま」満喫してたときは何でもできる気がしてた。
「ひとりでいる」ってなんて気持ちのいい事か!自由な事か!

余計なしがらみとか「「教授撰」の前に自ら手術台の上に乗ってライトを凝視する財前」あのシーンでは財前は「孤独感、見えない圧力、いろんなしがらみ、彼にしか分からない「なにか」」に囲まれてた。
あれは、あたしだ。あのシーンであたしは「あたし自身」を見た。
あの財前はあたしだった。さながら「まな板の上の鯉」。
あのシーンは何度見ても涙がぼろぼろでる。ひとりでだけど。

アウシュビッツ。財前はアウシュビッツに行く。あの地で現地で働く日本人の製薬会社の人間が線路に案内する。
ひとつの線路が途中でふたつに分かれてるんだ。ナチスの医師団に選別されたユダヤ人のうち「老人、子供、病人、けが人、幼児を抱いた妊婦など、いわゆる弱いものは右の線路へ」そしてそのままガス室に送られる。
「労働に耐えられる者は左の線路へ」そして死ぬまで働かされる。
「運命の分かれ道でなく、いずれも地獄の線路」。

財前は、ひとりでアウシュビッツの地を歩く。さみしく雪が風に吹かれてる。
すごくさみしい。けど、あたしは財前と一緒に歩いてた。なにも考えることなくなにも感じなかった。ただ「からっぽのこころのまま」彼といっしょに、ただ歩いてた。たぶん財前も「からっぽ」で歩いてたと思う。
けど線路でなく、ただ、あの地を歩いてる時は「ただなににもジャマされず
孤独だけども本当にひとりで、ただ歩いているだけ。」そういう「快感」みたいなもんが、あたしのこころにあった。たぶん財前も。

けど財前が一歩左側の線路に足を踏み入れて、その上に立った時。あたしにも
彼にも何もなかった。四方を見回す財前。何処を見回しても「孤独感」だけだった。なんもない。先も見えない。うっすら、あたしが感じたのは「先が見えないことだけは見えてる」ってこと。今のあたしとおんなじ。
皮肉にも財前は「先のないまま」終わってしまうんだけど。

あたしは前は財前がキライだった。けど、あれだけ「人間くさくて、孤独きわまりない人間」を、あたしは憎むことができねえんだな。
だって、あたし自身「人間くさくない」んだもん。「普通じゃねえ」道のり。
人間くさくねえから「強迫性障害」になっちまうんだろが。
人間くさくないから「つるむのがキライ」「ひとりがすき」。人間くさくないから「この世界がイヤ。自分が憎い。早く消えちまいたい。」って思うんだろが。
人間くさくねえから「あたしみたいな「コドモ」が子供産んだらアカンがな」って思うんじゃねえか。

「人間くさく」なりてえもんだな。人間くさくなれれば「強迫性障害」だってなくなるだろうし薬なんて必要なくなるし、「汚れていく事」「「シロキョ」のミニチュア世界に諦めて慣れる事ができたら「普通」に働けるだろうし」
財前とあたしは同じだけどあたしには肝心な「欲深い人間くささ」がぬけてる。
これが身につけば、この世界で生き抜くことが出来るんだろうけど。
でも今のあたし、「先が見えないことだけ」は見えてるんだよ。
「ヒッキー」が板につくと「ひとりぼっち」までついてきた。
酒が抜けてきた。腹痛いけど、もったいないからまた飲もう。
<450> こくーん ■2006年06月03日 土曜日 03時05分08秒
『社会派』と称されるミステリィ。
犯罪の動機の中に犯人の『家族関係』なんかがあったりすると、心がみりみりする。きっと、この世の中では『説得力のある』動機なんだろう。
もちろん、根拠があるのかもしれない。
…でも、心がみりみりと音を立て、犯人に同情するような、そうしてはいけないような、認めたいような、反抗したいような…そんな気持ち。
本の選択を間違えた?
それとも読むべき本だった?

『欠損家族の子だから「ああ」なんだ』って言われるのが怖くて。
必要以上に優等生のフリをしてた。
それが『本当の自分』で、自分の心の中にある醜い部分は消さなきゃいけない、あってはいけないもの。決して見られちゃいけない。

『私は違う。』
そう思い込もうとしながら、深みに落ちていったあの頃の気持ちが蘇る。
<449> エゴ ■2006年05月31日 水曜日 03時31分07秒
ゲーム、ドットハックGU。面白み的には人間不信の主人公(青年)の成長? 
さてこの主人公はどういう存在の仕方のスタイルを歩んでいくのかな、研究せねば。
うみゅ、内面と外面と言うか、人間の多重論理、多重見解が在って普通の条理を見事に使ってる、誠に現実に近づいた不条理さ。世界観もすごいね、何より人間制御かの仮想現実での不条理な出来事、人間関係がまさに不幸と皮肉のオンパレード、さてはてどうやって、主人公は成長・発達していくのか。惚れる惚れる、昔の考え方に近い一人5役くらいだけど、まあ自分も中学からオンラインゲームやってたから同調率高いし、力や内面的な潜在力は探って利用したからよく分かる、主人公やそれ以外の言った言葉の意味も。凄いね辛いね、主人公が辛い目に遭うのが辛い、でもそういう作品が好きなんだ、辛くなくても良い方面から伸ばされてるのも好き、でも辛くて成長する作品おおすぎ、特に男子向けのはそう、傷ついて、なんぼって感じ。別にマゾではないのに、本能なんて無力の前では制御覚えるのに、とか思う、良い方向からも覚えさせられるよ〜。でもキツいねまだゲーム途中だけど、あの二人のあの会話だけで。『かわいそう』『見えていても』『力』『無い』『その他』『そのまま死んで』『ふざけんな』『無理』『使う事も』『理解』。っていうより、自分は中2レベルか?、見ているだけで気が休まる、多分心が同調してるんだね、不条理さにあらがいたいから、それでいいよ、少しずつ取り込みな、なんか自分の受けた不条理に置き換えている部分が在るんだよね、多分。記憶の吸い出しや、感覚・思考まで一部戻ってくるし。
<448> 青空 ■2006年05月29日 月曜日 13時39分39秒
昨日見た夢

子ども3人連れて実家に帰ると、孫のために買った2段ベットが置いてあって
私はびっくりして「何で2段ベットなんか買ったん?」って聞いた。

そしたら母は「あんたが欲しいって言ったからやん。」と言う。
私は全然思い出せなくて「そんなこと言ったっけ。えー言ったかなあ。言った覚えないけどなあ。」

言っていたら、父が「お前が欲しいって言ってなかったらお母さん買うわけ
ないやろ。」と強く言った。
私はしっくりこない気持ちで「そうかなー」と思っている。

こんな夢だった。
目が覚めて現実にそんな会話を今したような気分だった。
妙に現実的な夢。いつもの家族の会話をよく表してる夢だと思った。
<447> こくーん ■2006年05月28日 日曜日 01時39分07秒
『朝のリレー』を教科書で読んだ頃、私はまだ世界を信じてた。
人を、平和を…少なくとも、外の世界には『それ』があると信じてた。
しかし、今は、どうだろう。
誰かは誰かの不幸を売り物にする。
利権をめぐる駆け引きの中で、ある国は水没するかもしれない。
ある国の平均年齢ならば、私はもう人生の終わりに近い…。

おそらく自分も『共犯者』なのだ。
私は何をしているのだろう。
いつだって切迫しているのに。
自分の立っている場所があまりに不安定で眩暈がする。
私の手はどこまでのものを掴むことができるのだろう。
私の愚鈍な頭はどこまで考えることを許されるのだろう。
<446> エゴ ■2006年05月23日 火曜日 16時21分44秒
小5・6でテレビ・映画・小説・PC・ネットを実験に取り入れたせいかな?
おかげで思考の悪い部分の流れの先読みしやすくなったけど、あれだね?
自分が後乗りか、少し先かで後追いしているようでちょっとね。自分のせいじゃないよね?
まずいよね、なんていうか、後付け解釈の上に自分を中心に世界が回ってるように思ってる。
でも前にもそんな風な事を考えたよね、警戒したよね、あの頃に。
<445> エゴ ■2006年05月23日 火曜日 16時14分16秒
Opの方も中々、昔頑張ってた頃と目指していた頃が思いだされる。
PCゲームの方にも何かが似てる。
<444> エゴ ■2006年05月23日 火曜日 16時13分11秒
ネットで注文したハック ルートのOPとEDのCDが届いた。
Edの方を聞いて、・・・なんだろう? この世界は本当に自分をおちょくるのが好き?
自意識過剰? 自己中? でもありがたくもある、最近削除の効果・作用も理解してきた。
知識・技術の方もアレだが、記憶と思いのほうにまで手が回されてたのね、あのPCゲームとの同調3割。 あのPCゲームあの人が言っていた、『・・愛してくれない』『・・好きじゃない』、うん、昔も今もそれには同意。小説版ではあれだけど、他の道在ると思うよ、だって自分の何かが必死にそういっているから。ゲーム版のあの二人に感謝、そして今回のCdにも感謝!自分はのせられやすい、周りの事が見えなくなるから、逆に特化したい時は利用する。
だから、役に立ってくれる今回の記憶と思いの復活には特にね。 問題は虚言癖か妄想か疑わしいけど、なんだろう、違うんだよね、自分に都合良く解釈在ったり、抜けてる部分や誤認あるかもしれないけど、違うんだそういうのとは・・・・・・・・多分。
<443> みゅー ■2006年05月19日 金曜日 02時27分32秒
今日ヘンな夢を見た。何だか妙な感覚だった。子供ギライのあたしに優しそうな白衣を着た女医さんが「あなたのお腹に赤ちゃんがいますよ」って言った。
あたし子供なんてニガテでキライなのに、今涙で画面がくもった。目ふいた。
鼻がぐしぐしいってる。あたし夢の中で、うれしそうにお腹両手でさわって「赤ちゃんいるんですか?」って女医さんに言った。何だろうボロボロ目から落ちる。

今の「家」に帰って、老公と奥方さんに「あたしのお腹に赤ちゃんいるんだって」って言った。不思議なのは、あたし自身も父親が誰か検討もつかない。
今も誰だか分かんなくても、どうせ夢だからね・・・。
老公が「誰の子供だ!父親は誰だ!」って聞く。「わかんない」奥方さんは何だかオロオロ目を白黒させながら「誰の子なの?いつの事なの?」って聞く。
「あたしも分かんないよ」ってあたしが言った瞬間、老公があたしを手で床にたたきつけた。それから老公が何を言ってたのか覚えてないけど、何か怒鳴り散らしながら倒れてるあたしの体やお腹を足でボコボコに蹴りまくって殴りつけてた。あたし「やめて!やめてー!」って叫びながら蹴られまくってた。
それから先は覚えてないけど、「ガバッ!」と目が覚めたわけじゃなくて、
なんとなく、すーっって目が覚めた。何だかすごく疲れてた。
今は何だか息が苦しい。
<442> なきむしっこ ■2006年05月08日 月曜日 15時07分07秒
 子どもの頃本ばかり読みすぎていた。
子どもなんだけども、いつも大人になった自分、その自分は仕事で成功して、周り(世間)に認められているのだ、そんな大人の私がひどい子ども時代、ばかにされている時代をインタビューされている・・・・そんな目でいつも過ごしていた。上から見下ろしている感じだった。
<441> nakimusikko ■2006年05月08日 月曜日 15時04分27秒
自閉症だった私へ 他の誰かになりたかった
高機能性自閉症の方自ら書いた本。
「ふり」して生きる彼女達と私の常に学校で家庭で「ふつう」の「ふり」「平均的なこども」を演じる「ふり」に重なった。
ドナさんが言う「カラースプレーでバラの花に色をつけられた・・・そんなバラのカラースプレーを一旦全部とってやった」という箇所と「にせものの声よりもか細くて弱弱しい声の方がどんなに美しいか」という箇所が印象に残った。「ふり」なんて多分私に必要だったからしていた。それでも「ふり」の下にいる私はか細くて、小さくて、泣きそうで、人の顔色を伺っている私だった。いつも怯えていた私。そしていじめで度重なるからかいや納得のいかない事の連続で死にそうだった、息するのやっとだった。カラースプレーで飾っていた。そのカラーをとった。そしてまだ生きていた私、休んでいた私を見つけた。

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This script written by Shintaro Wakayama.