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私たちの物語 - 小説・映画・夢などに関する連想・過去ログ No.14
メッセージ数:279件

<279> soulmen ■2005年03月20日 日曜日 01時57分23秒
ローリングストーンズの
「you can't always get what you want」

訳せないのだが、なんかネガティブな感じがする。

<278> HO ■2005年03月20日 日曜日 00時52分52秒
274について
クラプトンじゃなくてスティングだったような気がする・・誰だったっけ。
とにかく間違えちった。
<277> アーネスト ■2005年03月19日 土曜日 22時57分33秒
(フラバ注意.かなり感情的になってます)





ノルウェイの森の主人公のように悲しむべき時は涙尽きるまで悲しむべきだったんだ。まぁマゾ的な忍耐力を持つ自分にはその頃の自分はどうしようもなかったんだろうけど。でも海で,母なる海で涙を流せばよかったんだ。そうすれば,もっと軽傷で済んだのに
<276> アーネスト ■2005年03月19日 土曜日 16時41分51秒
「ノルウェイの森」のラスト間際のワンシーンを読んでいたら不覚にも泣いてしまった(厳密に言うと音楽の力を借りて泣いたのだが)。主人公が恋人を亡くして海岸で泣いていると漁師がやって来て慰めようとする場面だ。主人公は泣いている理由を聞かれて「母親が死んだ」からととっさに嘘を付くのだが,そこで妙に目頭が熱くなった。明日は母の明日だ。墓参りに行けそうなら行ってみよう。
<275> 大門 ■2005年03月19日 土曜日 11時25分51秒
今日見た夢はつらかった。

姉ちゃんが黙って子供を生んで、退院のとき自分が迎えに行った。
「かーちゃんには電話したのかよ」って言ったら
「まあ、さらっと。絶句しとった」
と言って、姉がタクシーに乗り込んだ。
車が出たとき振り返ると、物陰からかーちゃんが飛び出して車をダッシュで追いかけてきてるのが見えた。「待って!待ってー!」と叫んでいた。
「運転手さん止めて」と言って車が止まると
かーちゃんは泣きながらもダッシュで追いついて
「遠くでどれだけ心配しても、あんたも親戚も、お義姉さんのだんなさんが病気だったときも、みんな”また連絡するから”って。
でも、待てど暮らせど誰も連絡くれなくて、それで電話したら”ああ(忘れてた)、ごめんごめん”って!」
泣き伏すかーちゃんに姉が背中をさすりながら やっぱり
「ごめんごめん(笑)」と言っていた。

なにがどうつらいのか自分には説明ができないけど
誰かを追いかける時の「待って!行かないで」と胸を駆け巡る言葉や、追いかけている人の走る距離が、なるべく短いことを自分は望む。
<274> およよ ■2005年03月17日 木曜日 23時25分19秒
最近、悪夢を見ることは無くなった。でも、奇妙な夢をみる。ほとんど毎日、訳がわからないような夢。以前はその夢の意味するところが理解できたが、今は全然わからない。いったいなんなんだあぁ。そんな感じの夢です。今度覚えていたら、書きます。ショーモナイ夢かも・・・
もしかした、私自身が自分の心を見失ってしまったのだろうか。
カウンセリングに行きたくなくなってきた。自分を見つめる事がいやになってきた。自分の悪い所なんて、どうでも良くなってきた。私は変わったな・・・
<273> HO ■2005年03月17日 木曜日 21時18分46秒
i'll be missing you

notorius bigというラッパーの死を悼む歌だったか。puffdaddy(現p-didy)は好きじゃないけどサビがすごく良かったな。
元ネタはクラプトンのi'll be watching you。
意味も分からず泣けた小学校4年当時。
<272> 花梨 ■2005年03月17日 木曜日 20時29分27秒
ベティブルーが好き。繰り返し繰り返し観てる。
ベティはあたし。ゾーグは別れた主人。
主人は歌人を夢見ていた。あたしは歌人になる彼を夢見ていた。
ベティがゾーグには小説家になる才能があると信じたように。
主人は仕事に忙殺されて歌を詠まなくなった。
歌を忘れたかなりあの歌ばかりあたしは歌った。壊れたレコードのように。
そしてあたしも壊れて。というより元から壊れていたのだけれど。
ベティはゾーグが最後まで見捨てなかった。
あたしは見捨てられた。
でもベティブルーは好き。ベティの唇はセクシーだもの。
<271> アーネスト ■2005年03月16日 水曜日 15時02分47秒
某サイトで「イージーライダー」のレビューを書きながら考えた。自分はなんでこの映画に魅了されたんだろうって。あれを初めて見たのはもう2年前のことだった。当時の僕は大学の留年が決まって,憂鬱で酒を毎日飲んでいた。それはいいとして,あの映画は「自然に帰る」とか「反抗」とか「自由」とか僕に教えてくれた。結局その映画を通したアメリカ文化研究が卒論になってしまったのだが...。あの映画は確かに自由を履き違えたヒッピーの悲しい顛末を綴った切ない映画だが僕はそれ以上のことを学んだ。思春期から抑圧してきた生来の自分を掘り起こす契機になったといても過言ではない。
<270> アーネスト ■2005年03月16日 水曜日 13時17分24秒
本が全く読めない状態が続いている。固い小説は止めてホラー小説を読んでいたけどとうとうそれすら読めなくなった。
<269> こくーん ■2005年03月16日 水曜日 03時41分31秒
最近、昔聴いた『いと小さき君のために』という曲が頭の中を巡る。
歌詞はちょっと曖昧。友達にテープに入れてもらって聞いてたから。
♪叫びたいんだろう 君は 小さな手のひら握り締め か細い声で呟くのさ
 あんたがわるいんじゃないのと
 終わらない涙のために 失くせない傷のために 瞳に刻み込んでるのさ
 目の前で隠れる君を
 いと小さき君のために 俺は今夜も祈るのさ
 いと小さき君のために 貧しきいいわけを捨てて

(歌詞を書き込むのが不適切でしたら削除下さい)
こんな歌詞だったと思う。
心の中で、うずくまってる小さな子どもがいるような気がするの。
この歌を口ずさむと。
<268> こくーん ■2005年03月15日 火曜日 13時55分29秒
音楽だけを聴いている、ということができないみたい。
気がつくと、本を手にしていたり、考え事をしていたりして、音楽がトんでることが多い。集中力がないのかな?
視覚や文字の優先度が高いのは感じる。
なので、クラシックも嫌いじゃないのに、コンサートを聴きに行くと、途中で考え事をしてしまうか、真ん中辺りで眠ってしまったりする。
集中して通しで聴けない。
聴覚に意識を集中させる練習をすれば、治るかな?
<267> B.B. ■2005年03月15日 火曜日 09時28分30秒
夏目漱石の作品は「こころ」「吾輩は猫である」「夢十夜」など、どれも一定の哀しさ・無常感が作品の根底に流れていて好きだ。
癒されるとか、救われるのとは違う安堵感がある。共感に近い感覚だろうか。
漱石自身、精神的葛藤の多い人生を送った方のようなので、それが作品にも反映されているのかな?
文章は、柔軟に流れるようなのに、全体のリズムは少しも乱れず、音楽で例えると交響曲を聞いているような感じがある。
アイロニーに浸りたいときには欠かせない作品だ。
<266> こくーん ■2005年03月15日 火曜日 02時32分39秒
『助長』っていう言葉は、中国の故事成語で、稲が伸びないのを苦にした人が、稲を引っ張って無理矢理伸ばしたら枯れてしまった…ということからできた言葉だ、と最近本で知った。
自分の自己評価の低さ、時々無理矢理ぎゅ〜っと上方にひっぱって引き上げたいような衝動(当然無理なことだけど)に駆られる。
でも、時間をかけて見守ることが大切なんだろう。
最近はちょっといい感じなんだけど、そのいい感じがいつ崩れるのかと怯えている部分もあって…。見守ろう。
<265> soulmen ■2005年03月15日 火曜日 01時56分25秒
来年の大河ドラマは、司馬遼太郎の「坂の上も雲」だ。
たった150年前の日本。
新しい日本語のために命を懸けた人。
自分の能力を国のために生かすため軍事になる人。
人としての生き方、生きる意味ってのは時代によってさまざま。
人が皆、自由で、自分自身のために生きることが正しいとされてから、まだ間もないけど。
<264> アーネスト ■2005年03月14日 月曜日 20時18分21秒
あんまりメジャーではないけれどすごい好きなアーティストの新譜を毎日にように聴いている。彼のデビュー当初のインタビューを読むと幼少期のトラウマばっかり。だからというわけではないが,歌詞も曲も共感が持てる。
<263> 豆だいふく ■2005年03月13日 日曜日 06時47分29秒
ガンジーさんが「塩の行進」をしたルートを歩いてみたい。若いうちに行っときゃ良かった。悔いが残らないようね。それが大事だよねえ。
<262> アーネスト ■2005年03月12日 土曜日 21時51分43秒
辛い時にはホンマ,ヴェートーベンはんの御世話になってます。中でも「悲愴」は本当に自分には必要不可欠なアイテムです。普段クラシックはラジオで聴くぐらいなんだけどなぁ。たまにはクラシックのCDを買ってみようかな。それから将来のささやかな夢はLPを収集することです。渋〜いオヤジになりたい。
<261> こくーん ■2005年03月12日 土曜日 18時44分03秒
「あの坂をのぼれば」
小学校の教科書に載っていました(6年生)。
主人公の少年は、日々の生活に何かやりきれないものを感じて、海を見に行こうと決心します。磁石が北を指すように、海を見よう、と。
祖母からは裏の山を越えれば、海がある、と聞いていたのに、実際には坂を越えても越えても、たどり着けない。少年はくたくたになり、失望し、もう諦めようとします。その時、空から白い羽が舞い降りてきます。海鳥の羽根です。
それを見た、少年はもう一度歩き出します。この坂の向こうにきっと海はある、いや、なくてもかまわない、そう思って、足を踏み出します…ここでお話は終わり。彼が海にたどり着いたかどうかは書かれていません。

小学生には難しい話だと思いましたが、何だか大人が読むと、著者の言わんとしていることが何となく分かるような気がします。

私の白い羽根は何だろう。もう手にしているのかな。
それとも、もうすぐ出会うのかな。

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This script written by Shintaro Wakayama.