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私たちの物語 - 小説・映画・夢などに関する連想・過去ログ No.1
メッセージ数:20件

<20> WINNIE ■2003年09月08日 月曜日 14時32分44秒
10数年前に見て、気になっていた夢の意味が、ふとしたことでわかった。

仲良くしてくれていた友達のことなのだが、私は彼女のことを、良く知らなかったのだと、意味がわかった。私は彼女が大好きだった。頭が良くて、優しくて、リーダーシップがあって。同い年でありながら、私は彼女に保護者になってもらっていたのかもしれない。

学校が離れてから、私が入れ込んでいたあることに誘ったけれど、彼女は拒否した。私は無念で仕方がなかった。夢はその時に見た。その時は意味がわからなかったけれど、何か嫌な感じがしていた。でも、今はわかった。私は、彼女に頼り、自分の好きなものを受け入れてもらいたがるばかりで、彼女のことを深く知っていなかった。

彼女と一緒にいることで、私は学校で守ってもらっていたのかもしれない。優しい彼女と出会えたことに、感謝するべきなのかもしれない。でも、対等な関係を築けない自分が、情けなくもなる。もし、久しぶりに会うことがあったら、どんな顔をしてあったらいいのだろう・・・
<19> マフマルバフ ■2003年08月22日 金曜日 00時14分33秒
「紅いコーリャン」
紅いコーリャンを見たのは何故だろう。・・・思い出せない。
暗い映画館にお金を払ってまでして、孤独をたしかめるように映画を楽しむ余裕など俺にはなかった。
なにもかもいきづまっていて、顔をあげたら大きな看板が目にはいっただけなのだ。
感動するというような洒落た気持ちは持ち合わせていなかった。
死ぬに死ねないものだ。・・・どうとでもなれ。そんな気持ちでいっぱいであった。

最初のシーンも覚えていない。しかし、徐々に引き込まされていった。
厳しい自然のなかで、荒々しく生きている男たち。それに翻弄されるだけの弱い女になにができるんだ。・・・観ているうちに何か内側からわきあがる観念が次々とこわされていく圧倒的な迫力。
 中国の分厚い文化のなかで、したたかにたくましく生きる人間。
そして映像美。生命力が躍動するような強い印象をあたえられた。

タイミングにもよるのだろうが、俺はそれから映画をむさぼるように観るようになった。寺山修司の「田園に死す」「書を捨てよ町へ出よう」などもそのころみた。いろいろみた。自分のことを考えなくてよい時間が欲しかったのだ。

最近映画は観ない。ハリウッドの娯楽映画をたまに観るだけになっていた。

久しぶりにチャン・イーモウの名前をみかけたので「英雄・ヒーロー」を観た。
いわゆる武侠映画だが、残虐なシーンはなく、美しい映画だった。観ていて気持ちがすっきりした。分かりやすくておもしろかった。
自分のことから離れることができた。もう一回みにいこう。
ぜひ、かーいい女と一緒にいきたいものだ。
<18> 波 ■2003年08月18日 月曜日 07時12分32秒
先日 Talk To Her を観にいきました。事故で寝たきりになっている人に
話しかける・・・私の母は現在あと少しの命といわれて点滴だけで「生きて」います。母から受けた虐待、無視、が数え切れないほどあっていつも「殺したい」と思ってきました。昨日ベッドにいる母に恨みつらみを言いたいだけ言いました・・・そうしたら・・・母の目から一筋の涙が、すーっと一筋・・・
主治医からは「大脳は機能していない」と聞いていたのに母が泣いたのです。
私の話を聞いて「あなたはそう言うけど実はこういう訳があったのよ」と言いたかったのかもしれません。その一筋の涙の中に「ごめんね」があったのかどうか?まだ100%母を「許せない」私です。
<17> maasan ■2003年07月04日 金曜日 17時12分17秒
夢といっても少年時代に描いていた夢について書きます。宇宙について漠然とした憧れのような感情を抱いていました。天文図鑑の写真を見ながらため息をついたものです。なんでこんなきれいなんだろーって。できるものならここ(具体的にはオリオン座大星雲)に行ってみたいと思っていました。つまり宇宙旅行だったんです。
<16> mix ■2003年07月01日 火曜日 00時26分49秒
子供の頃に「ベンジー」を見た時、動物モノはもう見ないと決めたのだが、先日「WATARIDORI」を見た。ただ鳥が飛んでいるだけなのに、涙が出る。飛び続けて、辿り着いて、また飛び立って、飛び続ける。見た事もない視点から、地球が見えた。北極と南極を渡る鳥さえいる。人生は謎だ。
<15> ホワイトフィールド ■2003年06月11日 水曜日 21時47分29秒
先日うちの子が、「ママったら今すごくいい夢を見ていたのに起こすなんてひどいよ〜」と言っていた。なんだかすごく羨ましかった。

物心ついた時から毎日夢を見ている。カラーで、触感もあり、味もあり、とてもリアル。しかし、楽しい夢は未だに一度も見たことが無い。怖い夢、悲しい夢、苦しい夢、辛い夢、ほとんどがこれの何れかである。ゆえに毎日夜中に泣きながら目が覚める。子供の頃、真っ暗な部屋の中、祖母が死んでからは家族は居ても助けてくれる人は居なかったので、ひとりで起きているのも怖く、かといって眠るのも怖く、布団の中にもぐり丸まってじっとしていた。そのうち寝てしまい、朝方また怖い夢などで目が覚める。こんな生活が何十年も続く。想像してみて下さい。結構嫌でしょ。さすがに最近は、夜中に泣きながら目が覚める事はたまにしかなくなったけど、できれば一度でいいからうちの子のようにいい夢を見てみたい。
<14> hiro ■2003年04月24日 木曜日 01時25分26秒
あの時産まれた貴方達は何処に連れて行かれたの?夢とは思えないほど陣痛もリアルで。泣き声が聞こえた瞬間貴方達は白いおくるみに包まれて白いドアの向こうに消えて行く。自分の産んだ子どもなのに。私の子どもなのに。
ごめんね。貴方達を抱き締めてあげられなくて。お母さんは追いかけようとしたんだよ。だけど皆に止められて・・・抱き締めたかったのに。ごめんね。貴方達はもう10才だね。今誰といるの?いつか逢った時私をママって呼んでくれるかな?大好きだよ。貴方達皆抱き締めたい。ずっと一緒に居たい。お願い側に居て。ママを許して。愛してるよ。ママはずっと愛してるよ。最後まで追いかけられなくてごめんね。だけどお願い貴方達を産んだママを忘れないで。
初めて話した言葉は何?
初めて笑ったのはいつ?
初めて立っちしたのはいつ?
貴方達の初めてを側で見ていたのは誰?
貴方達はママの顔覚えててくれている?
<13> マフマルバフ ■2003年04月02日 水曜日 23時31分24秒
「歓楽通り」
パトリス・ルコントの映画はよい。映画ファン感謝ディを利用して3本観た。彼の映画は主人公が死んでしまうことが多く、なぜかそれがいい。そして、愛するが故に愛に報われない複雑な男がさりげなくかかれているのがよい。その男の純粋な気持ちが私にはよくわかる。
私も愛にまだ報われていないから・・・。
「みつめる」ということが男にとってはたいしたことないのだが、女にとってはそれは重要であった時代があったのだ。
ちょっと可愛い子がいると、すぐみつめてしまう私。目は口ほどにものをいうのだが、口のバランスが悪いんだ。喋ろうとするとうまくしゃべれない。そうして何年過ぎただろうか?恋愛のトラウマという病を発見してしまった。
 それを映像にしたのがルコントの作品だ。ああいうもどかしい恋愛がわかる人は「恋愛のトラウマ」の病のもちぬしだ。
<12> ヴコースキー ■2003年02月16日 日曜日 02時03分00秒
「静かな雨が夜とともに俺を責めさいなみにくる」

「子が忘れゆきしピストル夜ふかきテーブルの上に母を狙へり」   「乳房喪失」より

おもちゃではあっても、短銃の口の暗黒の穴は殺意を秘めている。この子は凶器で何を殺そうとしたのか。・・・微笑して済ませられるものではない。無言の凶器はあるとき実に雄弁である。この母は、銃口を横目に見てひやりとする。ピストルの向こうに、子の幻が立つ。狙われねばならぬ何ものかが母の心の中にある。・・

ひそひそと秋あたらしき悲しみこよたとへばチャップリンの悲哀の如く
鮮人の女と同室を拒みたる美少女も空襲に焼け死にとぞ
悲しみの結実のごとき子を抱きてその重たさは限りもあらぬ
花の香は菌の如くにみち殖えぬ花を買へざるわれの夜のため

致命の病に伏しつつ、恋に身をかけ、子を慈しみ、詩歌に救いを求める・・・抑制を欠いた感情表現や、未熟な部分を残す修辞も・・したたかな技法は、むしろ病人であることから離れた次元に明瞭に認められる、羽ばたく幻想、まぎれざる創造性、それこそ、中条文子を死後もほろばさぬ原動力となっている。・・・みずからにあてた晩歌である。それは限りない不幸であり同時に栄光だった。歌集は昭和29年(1945)7月1日刊行。作者は8月3日夭折、31歳
 ・・・あまりに内省的なその短歌に、俺は、子供の頃の近所のおばさんを思い出す。隣家なのだが、敷地が広大なわりに家は平屋でこじんまりしている。
俺たち3馬鹿トリオがその家の大きな枇杷を、小石を投げて落として食っていた。石ははずれて弧をかき、そのお家の瓦屋根に激突していた。屋根が割れたらたいへんなことになるのだが、そこの奥さんは門からすこし顔を出して駄目よ!と優しく注意するだけであった。・・・・俺はあんなお母さんがほしいなーと、子供ごころに思っていた。そのおばさんのイメージがなぜか冒頭の短歌と重なるのである。
 広大な庭に花や野菜を植えていたようだが、こどもはないようだった。
 帰省した折そのおばさんの広大な敷地は消えていた。名前もわすれた。しかし、あのやさしいおばさんの内省的顔はわすれられずにいる。
<11> マフマルバフ ■2002年10月14日 月曜日 01時07分54秒
キッスで殺せ 2
上映館で当日券を購入する時チケット売りの女子学生?の顔を見れなくなっておれは困った 何人かの学生がいるところだと俺はこうなるようだ 以前ここに来た時もそうなった 何故だろうか?考えてみたがその理由は教えたらん 「キッスで殺せ」古い米映画のノーカット版だ もちろんハードボイルド キスをしながらセリフをしゃべりあうシーンがあったが アホか文化のちがいだだらしのないことをするな と思ったが 気楽に女に抱きついてキスできるような 気楽な異性関係をもてるようになりたいとも思ったことは正直に書いておこう しかし ACには悲しいかな出来るものではない この映画を21日間で撮ったとは・・・・ロスアラモス・マンハッタン計画・三位一体ここらの場面が当時カットされたのだろう・・・アメリカで「反共」の嵐渦巻く頃の映画 俺は女が自分の欲望のために拳銃で簡単に男を撃つのが新鮮にみえた・・・・・それだけでした
<10> マフマルバフ ■2002年10月07日 月曜日 00時20分44秒
キッスで殺せ
趣味で映画を観るほど私に余裕はない しかし映画の好き嫌いはあるようだ ストーリーのない人間を淡々と撮影しただけの映画が好きだ そういう映画は捜してもなかなか出会えるものではない ところが先日俺が勘違いして観てしまった映画がそういう優良映画だった 背景を丹念に撮影し人物のアップがほぼ無い 撮影角度が人間の視線に近いから疲れない 撮られる側に緊張がない 屈託の無い男女の会話がサラリとある 主人公などいない そういう映画は好きだ ドキュメントになるのかな そんな単純で退屈しない明るい映画を創れる人はあまりいない たまたま観れた映画なので俺は気分よくして もう一本見たい映画を思い出し チャリンコを走らせた 上映時間には間に合うはずだった 朝から何も食っていないので空腹と膝の力が抜けてイラついた 何とか目的地に着き上映時間を確認すると 夜の8時過ぎ・・・自分の愚かしさを嘆きつつ足は空腹に耐えかねてラーメン屋に向かった これで半日つぶした 微熱と疲れで暫らく横たわっていた 俺は独りで何をあわてているのだろう バカだなあ これでリカヴァリーノートの映画などに関する連想のコーナーがなかったら 発狂するだろう こうなったら意地でも夜の上映には行くぞ!と待ち構えていたら雨が降りだした 誰だってこういう日もあるだろう・・・・・・・・・つづく。
<9> マフマルバフ ■2002年09月11日 水曜日 23時32分24秒
孤独
ある邦画をみた つまらなかった 観ているうちにおもしろくなるかもしれないと最後までしっかり見た 何か間が抜けた印象をもつのは私だけか 孤独感が見ているものに伝わらないからではないだろうか 孤独っぽく演じるのだが まるで孤独ではない 手持ちのビデオでルイスヴニュエル の「○○」を見た 寒々しいほどの孤独感が伝わる それをテーマにしているかのようだ この違いは何だろう 街を行き交う人の顔を改めて見る 映画のように孤独感の漂う人はあまりいない 銭湯でよく見かける青年が硬質な孤独感が漂っていた その人物が肩に刺青を少しずつ彫っている はっはっ〜ん 何かよくわからんが心境の変化を私が読み取っていたのだろう 日常の方がはるかに映画をまさっている。映画の中の人物のようにどこか間の抜けた安心のもてる孤独を演じられる世界に住みてぇ そう思うのは私だけか? 
<8> マフマルバフ ■2002年08月28日 水曜日 17時23分58秒
夢と現実
夢そのものはあまり見ることはない たまにみるときは おっ夢の中のことだ思いっきりみてみよう てな具合に無責任に楽しみますが 重苦しい夢は見ませんね 夢も選択できたらいいのですが 楽しい夢ばかりだと現実も楽しくなるのではないだろうか 最近映画は見に行きません やはり気持ちに余裕がないと私は映画も観ない こういうときは行動範囲がせまいようです 読もうかどうしようかと判断のつかぬ本を無理して読んでいたら ストレスが押し寄せてきた 公園に出かけて散歩したりすることで簡単に発散できるものですが この時間帯は主婦のおしゃべりが喧しい ぺちゃくちゃ 通りすがりに小耳に入った話は 近所の家族劇「見とったんか」と・・・こういう話の中で学びストレスを発散しているのだなあ 家族の関係維持発展 現実はむずかしいな

28日 17・21分 終了 ブジ下山シマシタ
<7> マフマルバフ ■2002年08月22日 木曜日 00時11分15秒
ネットの世界に垣間見るもの「男か女か」わからん!というテーマ。
私はインターネットが顔の見えない関係ということですごく警戒するところがあります このサイトを見ているだけで他はほぼみません しかし かきこまれた文章が 徐々に技巧的になり あれ?と思うのは私だけでしょうか ものすごく気色悪いものを感じるのです 男か女か確認できないところが気色悪いですね これは何かおかしい そしてさらに手のこんだ技巧をするものが出てくるのではないか こういう世界は慣れてませんので何だか魑魅魍魎として妖怪は出てこないだろうなと心配します。
<6> 蔦吉 ■2002年08月19日 月曜日 10時03分30秒
妙な夢を見た。
夢の中で、なぜか日本赤軍の重信房子が私のお母さんで。
どこかのアジトのような場所で、彼女と私と2人がかりで男を2人、拳銃で射殺した。殺された男ってのがなぜか『不思議の国のアリス』のトランプの兵隊みたいな薄いボール紙のような身体をしてたんだけど。
それからべつにどうという行動は起こさなくって、ただ私は人を殺してしまったことについて「とんでもない秘密を抱えてしまった」と思い悩んで、ハッと目が覚めてみて、あぁ、夢でよかった、と(笑)。

人を殺す、ってことがどうしてそんな罪というか苦悩になるかといえば、基本的に「同族である人間を殺せる、殺した」ということはつまり「その辺の何気なく喋っている仲間でさえ、いざとなったら殺せる」、そういう秩序を壊し同族を滅ぼしかねない一線越えた人間である、ってのが自分で歴然としてしまうからだろう。だけどやっぱり、もし無人島かどっかでナイフ持った相手に私の命がおびやかされでもすれば、私だって相手を殺して生き延びようとするだろうし。

重信房子という人が、どういう論理の筋道でもってテロを正当化できたのか、私にはわからないし、それが今この現実の中で彼女の論理を通すのに妥当な手段だったのかどうか、という点については、うーん、と首を捻る他ないのだけれど。しかし人は(それが視野が狭くなっているための思い込みであれ)「殺さなきゃ、殺される」というところまで切羽詰まらないかぎり、おいそれと人を殺したりはしないだろう、たぶん。切羽詰まってなお、「加害者に勝手に恩を着せられて無用な責任を負わされている」という視点を持つことができずに、自殺という「加害者に一切証拠の残らない圧殺」でもって殺されていく人間もまた存在するのだけれど。

重信房子の娘である、重信メイの『秘密』を書店で立ち読みした。…やっぱりなぁ、という感じで、すごく不安定な生活基盤、当局やらイスラエルのモサドやらに悟られちゃいけない秘密、そういうものを一杯抱えて育ってきた人だった。しかし不思議に、というか、ニュースなんかでこの人がお母さんの重信房子を支援する様子を見てると、この人はAC度低い、すこやかな感じがする。成長してく過程で、母親がテロリストであることも「薄々気づいていた」という。そういうのもきちんと見つめた上で、個人として「母親を支援する」という関係を選び直した、そんな感じがする。

勝手にイメージ作るのもアレなんだけれど。たぶん、危険な秘密をいっぱい抱えた“家庭”であろうとも、母親は世間からはどう見られようとも、そこにはただひとつ、「自分を生きてこなかった共依存者の嘘」は存在しなかった。そういう親子だったんだろうな、と思った。
<5> マフマルバフ ■2002年08月19日 月曜日 01時51分42秒
背の高いおじいさん
たまに見かけるのだが異様に背が高くて背中がまっすぐのおじいさんがいた 普通に歩いているのだが雰囲気に厳しさがあって大またになるからどうしても目立つ 厳しいおじいさんという人はどこにでも居る よく知るにつけ単なる利己主義の塊と化した人物が多いのだが そのおじいさんはそういう人ではなかったようだ 老衰で亡くなったのだが最後の地は農作業の物置小屋だった そのおじいさんと物置小屋に何のつながりもなく そのおじいさんがどこのお家の人なのかとうとう聞かずじまいであった 母親の驚き方もあって強く印象に残っている そう子供の頃の忘れてしまったような思い出である ひとり暮らしの侘しさがなく毅然としていた
「自分自身に耳を傾けることがそれ程難しいという理由は このことが現代人には殆ど無いもう一つの能力 即ち自分独りでいるという能力を必要とするからである」エーリッヒフロム「人間における自由」こういう体験を通じてこの格言の意味の深さは私に理解される 少し考えてわかるものではないと思うがよく噛みしめて生きていれば実によくわかる。
<4> マフマルバフ ■2002年08月09日 金曜日 01時34分18秒
[もうひとつの人生]95年シグロ作品1時間41分小池正人監督作品 アルコール依存症-----。この病気を抱えた人たちとその家族の物語である。殺そうと思いましたこの人さえこの世からきえてくれたら。上映場所 四条河原町南へ三つ目信号東側林ビル410号 351--8789 上映日9月7日(土曜日)12----3---6---特別上映会のためカンパ制です500円 たまたまチラシを見つけたので関心のある方はどうぞ 私はアルコール依存に対する関心が薄れているので当日にならないとわかりません。
<3> マフマルバフ ■2002年08月05日 月曜日 05時08分12秒
「バーバー」米映画を観た時 ハンフリーボガード風の理髪師が恐喝殺人を犯すことで そこにいかにもアメリカ風の夫婦不倫日常に潜む暴力性、弁護士の弁論の立て方、くそっあほらしい退屈な人生と捉えるアメリカ人気質 夢をつかめる才能と掴むことの出来ない大多数の平凡な人々 親切は仇になり報われない空しさ 淡々とアメリカの矛盾と正義のようなものが描かれていて面白かったけど 前に座っているおじさんが大あくびの連続で それは映画の中のセリフかと思うほどタイミングがよくて分からなかったけど私も釣られて上映中少し眠った長すぎた。もう一度観ようかと思ったがすぐに消えた。
その前後の頃カンザハールを観た。義足 人形の地雷 恍惚とコーランを読む少年たち 自爆テロをやるという教師 危険を冒してまで友人会いにいこうとするバズィラその道中の人との触れ合い 国境の緊張がひしひしと伝わってきた。難民がカブールに帰れない状況。これが00年のアフガニスタンの現状だったのか
アメリカの1950年代の様子とアフガニスタンの近辺の問題 この落差・・どうなるのかな 私の抱える問題とかかわると思って見ました。
<2> パヴァロッティ ■2002年08月03日 土曜日 02時01分44秒
7月31日の午前中うつらうつらとしながら夢をみました。
今週のカウンセリングでそのことを話したいのでまとめようとしましたがまとまらない。まずスケッチブックに屋内の様子を書かないと説明しにくい。
お寺のように大きな木の廊下に寝そべって女の子と何か話している。私が寝そべっているところに彼女が 端の方で仕事を片付けて話しながら来た感じです。
その話す内容が細かく人の内面に気配りしながら近づいてきて 話のやりとりがあって この娘俺に「気があるんゃろか」と考えていたら そうではなく少女のような感性で私の心のありようを聞き出すのです。どのようだったかがわかりません。
その女の子とはパチンコホールの店員でした。はっとしたのは言葉に虚飾が無い
気持ちを伝えるのにうまい。距離感も適切で 私の風体でなく内面をさりげなく言葉にするから私も自分の内面がどうなのか新鮮な感じで自分を見ようとした。
彼女は親の愛情を健全に受け止めていながら 世間の不条理も距離をおいて冷静に自分を見ている。そして臆することが無い 何か分からないのですが 他人と疑念の無い信頼関係のようなものをみせられた感じでした。これが今この世にはなくなているのだ。そんな感じで目がさめました。不思議な夢でしたがあの感覚は持ち続けたいと思いました。
<1> ゆき ■2002年08月02日 金曜日 14時42分51秒
夢を見ました。
おきると忘れているけど、夢の中では「あ、前にも似たようなの見た」と思った。
母親が怒っている夢だった。(以前は父親が怒っているイメージだったかもしれない)
怖かった。
学校に行きたくないって、黙ったまま主張している夢だった。
母親の怒声が雨あられのように降ってきて、わたしは歯を食いしばっていることしか出来なかった。
あんなに怒声をあびせられても、泣かなかったけど、本当は泣きたくてしょうがなかったんだよね。
ただ、泣いたらもっと怒られるから、泣けなかっただけ。
思い返しながら、これはインナーチャイルドが見ているビジョンを夢の中で共有させてもらってるのかな、と思った。
いつもわたしのインナーチャイルドはこんな怖いビジョンに囲まれてるんだろうか。
だったら可哀想だ。とっても可哀想だ。つらかったね、って抱きしめてあげたい。
「もう、わたしは大人なんだよ。仕事についてて、今はお休みをもらってるから
ゆっくりしてていいんだよ」と思っていた。
声に出して言ってあげられたらいいのに。夢の中でいいから、インナーチャイルドに会いたい。

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This script written by Shintaro Wakayama.